| 君のことばかり (中)
中学三年生の始まりの春、毎年変るクラスの、新しいメンバー、新しい斑の掃除場所は体育館だった。
女子はさっさとモップを奪い床磨きに精を出し始める。
モップは三つしかない。しかたない……と散らかりほうだいの用具室の整理にとりかかったのは栗原と岡野と、それからお調子者の田中という男子生徒だったが、田中は女子の監視から逃れるやいなやふらりとどかへいってしまった。サボリだ。
残された栗原と岡野も、女子の目も教師の目もないこんな隠れた掃除場所ででがんばるつもりはなかった。
用具室はつねに散らばり過ぎている。ボール、バレーのネット、それにパイプ椅子……本気でかたそうとしたら当番の期間に終わりそうもない。
伝統的に、この用具室の汚さはスルーされる。体育会系の部活の管理するものもあったから、下手に手を出せないと言うのもある。
だから、それに従って、やはり栗原と岡野もさしてやることもなく。適当にそこらへんのものをひろいつつ、何気なく会話する。
栗原も岡野も、この三年になるまで中学で同じクラスになるのは初めてだった。
「お前のこと、名前と顔は知ってたよ」
と、栗原は切り出した。
「へえ? 俺はあんまり目立ったこと、してないつもりだけどな」
「岡野は委員会とかで、けっこう皆の前で説明したりしてるだろ」
「ああ……なるほどね。そういやじみに人前に立つことは多いな。おれもお前のことは知ってたよ。まあお前はわりと目立つからな。陸上競技でいつもいい成績をとってくるし、」
それと、と岡野はつけくわえる。
「女絡みの噂が絶えない」
言うと栗原は笑った。
「とっかえひっかえやっているって、悪評高い? よく言われるよ」
「悪評は、女子には迷惑かもしれないが、男子からすりゃかっこいい。……なにか、女心をとらえるコツでもあるのか? 教えてよ。俺はこんな体型とただのお人よしなせいで、全くモテない。中学が終わる前に、一人くらい、彼女でも作っておきたい」
栗原は、こんな体型、なんて自分で言う岡野を見た。
たしかに露骨に女子にはモテないかもしれない。
けれど栗原には分かる。それは、よくうわさに上がるような派手な女子には……ということなのだ。
きっと誠実に彼を好きになる、控えめな女子は少なからずいることだろう。
そういう女子はたいてい慎重で、えてして自分の思いを不用意に行動には移さない。だから岡野は表面的には女子にもてないことになる。
中学なんかの恋愛システムはそんなもんだと栗原は見ている。
そうしてモテないなんていっている岡野を、三年になってこのみじかい期間のうちに栗原は、その人柄、それから彼の持ついいようも無く落ち着く雰囲気から、自分の中で高く買っていた。
だから偶然同じ班になったときも幸運だと思ったし、こうして話す機会を得てうれしかったのだ。
栗原は、岡野に魅かれていた。
そんな状況で、これから中を深めることができそうな二人を、ハプニングが引き離す。
しばらくふたりは気になる女子の話なんかしていた。
その話もひと段落ついて。
栗原は手持ち無沙汰で、手元にある柄の長いほうきを弄んでいた。
「そういえば、岡野さ、休み時間に本読んでただろ? あれって……」
そのとき。
「あ……あっ、あぶないぞ」
岡野の声とともに、何となく動かしていたほうきの柄……伸ばされた上の方に不自然な手ごたえがあった。
みし、というおそらくそれはかごか何かがきしむ音。
岡野の声に栗原はハッと顔を上げた。視界に映るのは、少し高いところにある棚に乗った一抱えほどもあるかご――使い古したソフトボールを一杯に入れた――それが、自分のほうきの柄が引っかかって傾く……ソフトボールが落ちようとしてくるところだった。
栗原は無意識に一歩下がった。その足元に運悪く散らばったままだったボールが。
栗原は仰向けに転ぶ。そこに正面からソフトボールをもろにくらう……! とおもって目をぎゅっとつぶった。
どどど、というにぶくくもった音、けれど、不思議なことに栗原には他に何も感覚は無かった。
「いてて……大丈夫か、栗原」
思った以上に近くから岡野の声がして、栗原がそおっと目を開けると、目の前、近くに岡野の顔があった。その表情にいくらかの、苦痛の表情が滲んで、すぐ消えた。
すぐに栗原は状況を把握した。
倒れた自分の上にとっさに岡野が覆いかぶさり、落下する大量のソフトボールから庇ってくれたのだ。
「大丈夫かって、お前の方が! 頭打たなかったのか」
「ああ、意外とボール軽いし、だいじょうぶ……」
そのとき。
「あ、かごが!」
往生際悪く、最後まで落ちずにいた空になったかご自身が、落ちてきたのだった。
それも、丁度良く岡野の頭めがけてだ。
そんなに硬い材質ではない。でも、ほどほどに……重かった。
どさっ。
「あつっ……」
カゴが、頭に落ちて、支えきれずに岡野の頭が下がり、がつ、と栗原と額と額がぶつかる。
栗原は、目に星が飛んだような気がした。それは一瞬。
痛覚と同時に、へんに甘い感じがあって、不思議に思う。
甘い……? いや違う。鉄の味……血の味がした。
それで口にも痛みが走っていることに気付いたのだが……。
「むむっ……!」
ちゃんと目を開くと、岡野と口と口がぶつかっているのだった。
つまり、キス……。
そのことに岡野は気付いていない、遅れて気付いて彼もまたそのまま呆然とした。
血の味がじわじわと広がっていく……口が切れているのは自分なのか、岡野なのか。
そんなことはどうでもいいことだ。
この状態は、どう考えてもあまりよくない状況、男同士のキスだった。
だけど栗原も、それから岡野もしばし、何故か合わさった唇を自分から離さなかった。
ズキズキと額と唇が痛む。誇りっぽい匂いが、今更鼻をついて感じられた。
唇が熱くて、血の味がして、柔らかい……。
(なに固まってんだ、相手は岡野だぞ。男同士のキスなんて、誰かに見つかったらまずい)
栗原がそう思い、岡野も同時に同じことを考えた時だった。
しかしそこで、正気に戻った二人が唇を離す直前に、運が悪いことにがらりと体育用具室の戸が開けられたのだった。
「何かすごい音がしたけど……」
と言って入ってきた女子達と田中が見たのは、男同士のキスシーンだった。
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