| 明け方 ツワブキ社長×アダン。
……の、ちょっと若い頃の話。
「……いってしまうのか、また」
ツワブキはベッドを抜け出ようとしたところに、とっくに寝ていると思ったアダンから声がかかっていくらかどきりとした。
朝の四時半、ホテルのカーテンの外はまだ暗い。
「寝てなかったのか」
「寝つきが悪いんだ。そう簡単には寝付けないし、すぐ目が覚める」
「そうか」、とだけそれに答えて、ツワブキはベッドを出た。
ハンガーのスーツをたぐり寄せ、手早く着込む。
そんなツワブキの後姿を、半分とじた瞼の下からぼんやり、けれど真摯に眺めつつアダンはつぶやく。
「……起きたときに、隣に誰かがいたら、幸せなんだが」
スーツを着込んで、まとわりつく情事の色気の残り香も何も振り切ってツワブキが戸のほうへ一歩踏み出す。
そこに、追い討ちをかけるように、さらにアダンの言葉が重ねられる。「君が、いてくれたら……」
ツワブキは振り返らない。そんなのはアダンにはとっくに分かっていたから、このあとはもうどうしようもないので、アダンは掛け布団を頭までかぶって、目を閉じた。
すると、いきなりそのふとんがはがされたのでアダンは驚いて見上げた。
見下ろすツワブキが、手のひらの何かを指し示す。
「これ……入眠薬。そんなに強くないから、眠りたい時は使うといい。寝起きも爽快になる」
なんだ、ここでドラマチックに「じゃあもどる」とか言うのではないのか、とアダンはおもい、まあそうだなと納得する。
「ありがと」
ふん、とすねたように横を向こうとしたあごをとらえられて、アダンは優しくツワブキに口付けられた。入り込む舌が、口内で何かを押し付けてくる。
あ、薬が、と思ったところに喉の方まで薬を押し込まれ、のみこまさせられた。
それがすむと舌は抜かれ唇が離される。
「わるいな。せめてそれで、いい眠りについてくれ」
アダンは口を押さえて、こくん、と、喉に引っかかる薬をさらに奥へと飲み込んだ。
必要最小限のことをなして再びベッドを離れ、出て行こうとする彼にアダンは「ツワブキ、」と、思わず名を呼んだ。ツワブキが振り向きもせずただすこし、立ち止まる。
「……愛しているんだ。淋しいよ」
一瞬間をおいて、ツワブキが返す答えは。
「だったら暇な別の男でも愛したらいいだろう。どうにも私は忙しい……恋ばかりしていられない」
「私の事を、ちゃんと好きなのか? それとも君にとってのただの暇つぶしなのか、これは?」
「好きだが、暇なときしか会えない。それがダメなら他の男を探せ」
「ダメじゃない。ただ、淋しくて」
「それはどうしようもない。……耐えられなかったらほかの誰かに乗り換えたらいいと思う」
アダンはようやくその口をつぐんだ。
他の男と、他の誰かと……
そればかりだ。もう分かった。目を閉じる。「煩わせてすまなかった」と、言ったのに対し、ツワブキは「煩わしくもない、気にするな」と答える。
煩わすことさえできないのか、とアダンは思う。
入眠剤が、丁度よく効いてきた。眠って、夢から覚めたらもう終わりになってしまうのかもしれないと思った。
「ツワブキ……」
何か言おうとして、眠気がアダンの言葉をさえぎった。何か言う変わりにすう、と息をついて、それがそのまま寝息となって、アダンは眠りに落ちた。
ツワブキはしばらくは、そのまま足をとめ立ち止まっていた。
アダンが「ツワブキ」と発音するのが好きで、もう1度、言わないかと思ったがアダンは自分が与えた薬ですでに深い眠りについた。
その声、二度と聞けないかもしれないと思う。
アダンはきっとこの先他の男と恋に落ちるだろう。それがいい。
淋しい、淋しいといわれてもどうしようもない。どうもしてやれない。自分は恋なんて向いていないのだと、ここにきて思い知った。
恋をするには絶対的に時間が必要だ、が、それが自分にはない。時間がない、足りない。だから恋はできないのだろう。
ちょっと振り返って、眠るアダンを見た。
なんと贅沢に時を使う。その人生も、金も時も、すべて恋にのみ費やすだなんて。
貴族というものとは、種族が違いすぎる。これではお互いの心が、……というより実質的な利害が合わないのも仕方がない。
恋こそすべての彼と、恋は仕事の合間の娯楽の一種と考えている自分のこの考えの違いでは、この先の展開は望めそうもない。
だから仕方がないのだ。
ツワブキは自分に言い聞かせたが、いまいち、あきらめ切れていない自分の心を感じた。
アダンを手離してしまうのか?
それは、惜しい、だが、彼を満足させるだけの時間は、ない。
おそらく本当にほしいと思うなら、アダンと恋をするならば、すべての今の仕事をなげうってかからなければならない。
それは、無理だ。
無理。
ツワブキは眉をしかめた。
それも一瞬で、すぐに彼は歩を進める。
部屋のドアに手をかけたとき、彼が好きだった声音で「ツワブキ」と、名が呼ばれた。
寝言だ。
あの甘いアダンの声音は過去にもう何度も他の男の名を甘く呼んだのだ、と自分に言い聞かせツワブキは戸を開け、部屋を出た。
アダンのその声が甘く名前を呼んだ男のうちに自分も入るのだと……それは光栄なことで、つまりは自分の自信に繋がって意味のあることなのだと考えて、ツワブキは……
……
……
そんなことが大切なんじゃないと思いつつ、時間に追われてアダンのいるこの部屋の戸を閉めた。
今日は大切な商談があるのだ。
END
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