| 番外編 ヒース×ミクリ。
番外編とは……。
「うーん……
ううん……
…………ダイゴ…………師匠……」
しゃべる言葉の、わずかな振動にびりり、と不自然に神経を煩わされてミクリは、はっと自らの声で目を覚ました。
目覚めて視界に入ってきたのは光差し込む部屋の白い天井。
それをしばらくぼんやり眺めて、わずかな違和感を覚えてミクリは、がばっと起き上がった。
それに伴いぱさ……と額から冷えたタオルが落ちた。
落ちたタオルを手に取り、辺りを見渡せばそこは見慣れた自分の寝室などではなかった。
――知らない、見たこともない部屋。
覚醒すると、同時に頭がガンガン痛んだ。ここはどこだろう。ゆっくり考えて、やがてミクリはひとつの記憶にたどり着く。
最後の記憶は赤紫の髪。その前は……たしかそう。ミナモで、人にぶつかって……。
オレンジがふたつ落ちたんだったな、と、ミクリは記憶をたどっていった。
その記憶とは。
…………
(日差しが強い……)
ミクリはふらふらと歩きながら落とした視線の先、街道の白や灰色の敷石に強く光が反射するのをぼんやり眺めて思った。
ここはミナモ。
もうすぐ真夏になろうとする。梅雨も明けてこの頃の日の強さといったら、うんざりするほどだ。
暑さに弱い。日差しも苦手。……ならばこんな日は外出などせず家に引きこもっていればいいのに。
でも、引きこもっていてはいろいろと考え込んで、その解決方法のないことにうんざりして、また打ちのめされてしまう。だから気を紛らわそうとこうしてミナモまで買い物と散歩に来ているのだ。
――悩んでいることがあった。
ミナモデパートで何を買うでもなく商品を眺めていて、結局頭は悩みから離れることもなく、商品が目に映っていないことに気付いてこれではしょうがないと出てきた。それでミクリはこれからどうしようかな、と人通りの多いデパート前の道をあるいているところだった。
日差しが強くてなんだかくらくらしてきた。そういえば昨日もろくに寝ていないから。
どこか冷房の効いたカフェにでも入って体を休めなきゃな……と、思っていたときだった。
うつむき気味で、視線も落として歩いていて気付かなかった。道の向かいから来ていた人にいきなりドン、とぶつかってミクリはよろけた。
ドサドサ、と向かいで何かがいくつか落ちる音を聞いた。
と同時に、ぐらっとめまいがしていて、あ、このまま体を支えきれない、とミクリは思った。
「あっ、大丈夫?」
倒れる……とおもったとき。さっと背中に腕が回されて、倒れそうになった体が支えられる。
ミクリは、はっと視線を上げた。
まず、目の前に大きめの茶の紙袋が目に映った。……そこからバケットの先がのぞいている。それからオレンジ……そうか、今何か落ちた音がしたのはオレンジか、と思った。下を見るとやっぱり二つのオレンジが落ちている。
片手に紙袋を抱いて、もう片方の手でミクリを支えている。ミクリは紙袋の向こうのその人を見上げた。
珍しい赤紫の色の髪が肩にかかっている。自分よりいくらか背の高い青年。
「ごめんね。ちょっとよそみしててさ。大丈夫?」
言ってミクリの顔を覗き込み、その人は「あっ」とつぶやく。
「君……もしかしてミクリじゃないか? チャンピオンの……!」
「……?」
「そうだよねえ! 知ってる知ってる。……っていうか、ん? 大丈夫? 顔色がすごく悪いけど……」
彼、どこかで見たことあるな……と思いながら、ミクリはその人がしゃべる言葉がだんだん遠くなっていくのを感じた。
まだ頭がくらくらしていて、やばいこのまま気を失ってしまう、と思う。そういう感覚だ。視界が周りから暗くなりかけた。
こんな状態で……ミクリは「ごめん」とひとことつぶやいた。「ごめん、ちょっと……だめだ」
そしてその青年に体を支えられたまま、もたれるようにしてふっと力が抜ける。
気を失う……まではいかなかった。それでも危うい、力が出ずに自分を支えることもかなわず、支えられてかろうじて目と耳から情報が入ってくるといった状態だった。自らはもうどうしようもない。この人が支えてくれるのを頼りになんとか意識を繋ぎ止める。
自分をしっかりと支えてくれる腕の感触を感じていた。それが妙に心地よくて頼もしくてほっとする。
「ちょ、ちょっと……!」
腕の中で力をなくしてぐぐっと重くなった青い髪の青年の体を、赤紫の青年はとりあえず自分の体に寄りかからせて支えた。
(……どうしたんだろう?)
深刻な顔つきになってミクリを見る。尋常な様子じゃないようだ。少し考えて、「とりあえず」とつぶやいた。
空いた手で自分の腰元のモンスターボールを取る。
カチリ、と開閉ボタンを押した。
「ボーマンダ!」
一声呼べば、町中に、いきなり巨大なドラゴンが現れる。
「あ、おどろかせてごめんねー」
いきなり町中に出現した大きなポケモンに驚く街の人を魅惑的な笑顔で誤魔化して、赤紫の髪の青年はミクリをそっとボーマンダの背に乗せ自分も飛び乗った。
「お騒がせしましたっ。ボーマンダ、飛んで!」
街の人にはぺこりと頭を下げて、ボーマンダには指示を。ボーマンダの翼が強く地面に空気を打ちつけ浮き上がる。巻き起った風により何人かが吹き飛ばされるのをしまった、と目の端に捕らえながら、次の瞬間にはボーマンダにのった青年とミクリは街のはるか上空まで来ていた。
「あんまり風が来ないように飛んで。病人連れてんだ」
青年の声にボーマンダはうなずき、飛行はゆるやかなものに切り替わった。
そのあたりでミクリは、この人に任せれば大丈夫と変に安心してふっと意識を手放したのだ。
…………
それで、気がつけばこの部屋の中。
ここはどこなんだろう。
ミクリはまだ少し痛む頭を抑えつつ、辺りを見回した。
白を基調にした、センスのいい少しの調度品が置かれた部屋。寝室には違いない。
差し込む日差しの雰囲気からして、時間は昼過ぎらしかった。……ということは自分が気を失ってからそんなに時間がたってないのだろう。
窓が開け放たれていて、生ぬるいけど心地よい風が迷い込んできてカーテンを揺らし、ミクリの頬を撫でる。日差しはレースカーテンにさえぎられた隙間から強い光が時折きらきらと差し込む。
とりあえずベッドからは起き上がって、部屋から出てみることにした。
「あ、起きた? 今様子を伺いにいこうと思ってたところなんだけど」
やはりここもよく日の差し込むリビングの、ソファーで雑誌のページをめくっていた青年が振り向き、人を安心させる笑顔をミクリに向けた。
さっきの、記憶に新しい赤紫の髪の青年だ。
「ありがとう。なんだか、おせわになったみたいで……」
そういっているまに立ち上がり、近くまで来ていた青年の手はミクリの前髪をすくって額に当てられた。大きな手はひんやりとつめたく心地よく、ミクリは無意識に瞳を閉じていた。
「これって、熱中症でしょう。まだ、ずいぶん熱い。クーラーつけようか……」
と、いいつつ、額に触れる手はそのまま離されない。
ミクリがその手の冷たさに気持ちよさそうにしているかららしかった。
どこか不自然ながらもしばらくそうしていて、ミクリが眼をそっと開けるのと同時に手は離された。その手でソファを指差す。
「そこらへん、てきとうに座って。今冷たい飲み物でもいれるよ」
そういって近くにあったリモコンでクーラーを入れると窓を閉めにいく。
ミクリは言われるままにソファの、さっき彼が座っていたところからL字型に曲がったところに座り込んだ。
気遣いはいい、もう行くから、と、普段なら言いそうなところをミクリは青年の行為を断る気になれなかった。
のどが渇いていたしまだ熱にのぼせている。動き出すだけの体力がなかったからだ。
この人の親切が、今のミクリには心底ありがたかった。
クーラーはゆるやかに効きだしてミクリのわずらわしく思う熱気を表面からさらっていく。
風向が自分に向くのを無意識に期待しながらクーラーを見ていると、とん、と目の前にグラスが置かれた。
「はい。ひやしあめ」
そのコップを取ったところ、控えめなショウガの香りがふわりと鼻先を掠めた。ミクリは目を細める。
「ひやしあめ……これ、好きなんだ」
コップに触れた手の先が冷たくて気持ちよかった。掴んだコップを口元へ運び、「いただきます」と、こくんと飲んで、ほっといきをついた「……おいしい」
「そうか、よかった」
目の前の青年はミクリの隣に座ると自分の分も作ってきていたのを同じように飲んで微笑んだ。
――そういう微笑み方は、予想外で見たことなかったけど……。
――普段の姿、キャラクターとはかけ離れているけれど……。
ミクリには親切にしてくれた彼について、思うことがあるのだった。
それをひやしあめで冷えた口で言葉にする。
「君はもしかして、フロンティアブレーンのヒース……?」
「おや知っていたか。チャンピオンに顔を覚えていてもらえたとは光栄なこと」
やっぱりそうだったか、とミクリは思った。
「……ドームスーパースターの顔は覚えている。だけど今の君は普段の君からはあんまり離れているので、本人なのか、ちょっと分からなかった」
「それもそうだ。あの姿じゃなくて気付いてもらえたことこそ、光栄なことだな」
ふふ……とやさしく笑って、ひやしあめを飲む。ヒースは続けた。
「あれは舞台用の私なんだ。ふだんはもう少し地味だよ」
こんなふうに、と、Tシャツと綿のパンツと言うラフな格好を指していう彼に、そうなんだ……とつぶやいて冷やしあめを飲んで、その冷えた液体が喉を通っていくので、ミクリは気持ちよさそうにした。
「君もチャンピオンとしてのふだんより少し、ちがうな。あのマントを羽織っているとだれも寄せ付けないような高潔さと、人を圧倒する覇気をはなっているけど。今は……ずいぶん弱々しくて無防備な」
「ああ……私も、同じようなものだよ。あれはリーグの、バトル用の自分。普段の私は精神的にも体力的にも弱くて自分で嫌になるほど」
「そして今もなにか、弱々しく悩んでいる、と」
ミクリはどきりとした。
「……どうしてわかる?」
「顔に書いてある」と、ヒースはミクリの顔を覗き込んだ。
そしてミクリを悩ませているところの本質を言い当てるのだった。
「二人の男に、同時に告白されて、答えに困り果ててしまっていると」
ミクリは驚いてはっと頬を抑えた。……が、当然顔なんかに書いてあるはずは無いのだ。
「ど、どうして分かった……」
目をぱちくりして本気で驚いているミクリにヒースはなんだかからかうのも気の毒になる。
冗談も受け入れる余裕がなさそうだ。思った以上にミクリはこの状況に煩わされて疲れているようだった。
「ゴシップネタ、ちょっと出回っているからさ。今のチャンピオンはその師匠アダンと、前チャンピオンダイゴとから、ほぼ同時に告白されたとか」
アダンとダイゴの名を聞き目の前の青年のほおが露骨に染まるのをヒースは見た。
「ゴシップ……そんなのが」
「みんな暇だからね。女性に人気があるくせに誰も恋人作らない、ミクリの周りには何かあるだろうって、ネタを待ち構えてたのさ」
そうなのか……とつぶやいて、ミクリはふううとため息をついた。
「……なんて、はたから見てりゃ面白いけど……当の本人は、そのふたりのハザマで疲れ果てちゃったみたいだね」
ヒースの手が伸びてミクリの乱れた髪をちょいちょいと直した。
一瞬身構えたミクリは、けれどすぐに警戒を解き、髪に触れるヒースをおとなしく見つめる。
ミクリは本来なかなか警戒心が強くて他人に馴染まない。けれど、この初対面のヒースという青年に対しては特有のその警戒心が極端に薄められている気がした。
(なんだか不思議な……)
と、ミクリは髪に差し込まれるヒースの指に注意しつつも変に安心しきって思う。
――ここは、あの世間、自分を悩ませ苦しませる現実からはずいぶんとはなれているような気がする。
心地よく涼しくて、目の前にいる青年は無条件で優しくて、そして時間がゆったりと流れていく。
ミクリはここにいると最近休まらなかった心がほっと息をついて、くつろいでいるのを感じた。
いつしか髪に差し込まれた手はミクリの後頭部を支えて、くい、と視線を嫌が上でもヒースへと向けさせた。
「君は……どちらを選ぶの?」
優しく聞かれる。
「……どっちも、手放したくないんだ。二人とも好き」
と、許されないだろうと思って誰にもいえなかったミクリの本心が、ためらいもなく口をついて出た。
そうだ、どちらかに決めることなんてできるはずも無い。自分はどちらも同じくらい好きで、片方を選ぶなんてできやしないのだ。分かっていた答えが、ミクリの前に浮かび上がる。
――だからこそ、悩んで、決断は先延ばしのまま……。
「わがままだな」
ヒースが笑った。
「ああ……。本心はわがまま。……だけど、外見だけでもそうならないために、答えに困り果てて、悩んでいるんだ。悩んでも答えは出ず。……どうしたらいいんだろう。今まで、何か困ったときに相談に乗ってもらってたのはあの二人なのに、その二人から問題を出されて……誰にも頼ることもできずに、一人で考えて、答えを導き出せるわけでもなく。眠れない夜ばかりが続く」
そこまで言ったところで、後頭部を支えていたヒースの手にいくらかの力が働く。
内へ引き込む力。ヒースの胸へとミクリは抱き寄せられた。
あっと思う間にその手は背中に回されて、ミクリはソファの上、あまりに自然にヒースに抱きしめられていた。
ヒースの片方の手が上がり、ミクリの頭を撫でる。
「ほんと、大変だね……」
それで一瞬実を硬くしていたミクリはまた、ふうっと警戒と緊張を簡単に解いてしまった。
何でこの人は、こうもことごとく、自分の望んでいることを、たやすく提供してくれるのだろう。
暑さに対する、クーラー。内への冷却のひやしあめ。そして、疲れた心と体に抱擁。
「なんだか不思議な……」
と、ミクリはつぶやいた。
「こんな、いろいろ考えなきゃならないときに悩みも忘れて落ち着けるなんて……」
ミクリが不安になるくらい、何故かここでは自分は無条件で癒される。現実からはなれたこの空間は、自分に親切で、優しすぎた。
「なんだかどうにもほっとしてしまって……いいのかな」
「いいんだ」と、ヒースは答えた。
「……これは、番外編だから」
「番外編?」
不思議な言葉を、くりかえす。
「そう」と、ヒースはミクリを覗き込んで、笑いかけた。
「ミクリ、君の本編は、師匠であるアダンと、親友だったダイゴとの、波乱の恋物語だ。だとしたら、これは言うなれば、その本編の合間にちょこっとはいる、おいしい番外編」
クーラーが体を冷やし、その冷えてくる体をまた心地よい温かさに包まれながら、ミクリはおとなしく聞いていた。ヒースが続ける。
「……番外編とは、本編からぽんとはなれて、個別に展開するひとつのストーリー。それは本編から離れているがゆえに、自由で、楽しくて、しあわせでおいしい……」
ヒースはミクリの髪にそっとキスをした。
「……そして、避けられない重苦しい展開に疲れた読み手と、主人公を、ほっと癒す役割もある」
ね? ちょっとほっとしたでしょうと言ったヒースに、ミクリは素直にうなずいた。
「君の抱える恋の状況は、やっかいで、難しい。きっと一筋縄ではいかないだろう。……時間のかかるドラマ。なかなか明快には解けないだろうから、そんな中、疲れすぎてしまったときは、……『番外編』を、愉しむといいよ」
番外編。そうか、とミクリは納得した。意味も無く自分に優しいだけで許される、このときは、番外編だというのなら、納得できる。
「番外編か……それなら、……そうだな。現実を少し、忘れて、ゆっくりしまってもいいか」
「うん」と、ヒースが優しく答えた。
そのまま。
ソファの上で抱き合ったまま、特にオチも必要としない番外編は、ミクリの心をちょっと癒すためだけに、ゆっくりと時間を流す。
「これが本編だったら、いいのに」
思わずつぶやくミクリにヒースは笑った。
「それは、無理だな。これがメインでは、きっと誰もが物足りないだろうから。……難関の続く重苦しい本編があるからこそ、この優しいだけの番外編が、おいしいんだ」
なるほどな……と、ミクリは思った。
だとしたら、この番外編のために、あの苦しい現実もずいぶん価値がある……なんて思ってミクリはヒ−スの腕の中でふうっと瞳を閉じた。
番外編は、実はまだ始まったばかりで。
この先ミクリはヒースと恋に落ちて、こんなおいしい恋があっていいのだろうか……と思うような展開になる……らしい。
END
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