| エイプリルフールの恋人 ミクリとルビーの、恋人ごっこ。
限られた時間での駆け足の恋愛。
「……」
夜の11時、50分を過ぎたところ。静かな部屋にカチ、カチ、と時計の秒針の音が響く。
ベッドの上でこの腕にルビーを抱きながら私はなぜか、かつてないくらい緊張していた。
後10分、どうするつもりだ? ルビー。
ちらっと腕の中、抱き合ったままのルビーを見たが、ここからでは彼のつややかな黒髪が見えるのみ。
ゆっくりとした、しかし確実に緊張感を持った呼吸が肩を上下させるのだけが伝わる。
多分、わたしの緊張も伝わっているはず。
ここまできていまさら……ただひとつのことだけにこだわっている。
嘘なのか? 本当なのか?
どうなんだ? ルビー。
ことの始まりは今日の朝のこと。
今日は日曜でジムはお休み。何をして過ごそうか、と遅めの朝食の後片付けをしているところに、ルビーがやってきた。
いつもとはどこか違う様子。妙に背筋をピシッと正し、入ってくるなりバラの花束を差し出した。
そして、告げることば。
「師匠、愛してます。ボクと付き合ってください」
え、
と一瞬どきっとした。……が、この本気の告白にしてはキザったらしいバラの花束なんて演出と、芝居がかった振る舞いでわたしははっと気付く。
視線を壁にやれば、今朝新しい月にした、4月のカレンダー。
今日は4月1日、エイプリルフール。
……つまり、これはルビーの思い切った冗談、か。
視線をルビーに戻すと、私が冗談だと気付いたことを認めて彼はニッ、と笑った。
まったく私の弟子は、こういうところが、かわいい。
私は花束を受け取った。
ちょうどいい。今日はひまだし、ここでうそつけ、と笑ってあしらうのはあまりに面白みに欠ける。冗談に付き合ってやろう。
「ありがとう。わたしも好きだよルビー」
かがんでおでこにちょっとキス。
「ほんとうですかっ? うれしいです!」
演技っぽく言ってぱあっと瞳を輝かせて、これは演技なのかどうか見極められないくらいの本当に嬉しそうな表情を見せる。
そういうわけで、エイプリルフールのちょっと風変わりな冗談。ルビーとの恋人ごっこが始まった。
ルビーが、恋人ならデートに行きましょうというのでとりあえずそのまま出かける用意をしてエアカーに乗った。
デートなんて、久しぶり。何をすればいいんだったかな……と考えるそばからルビーがあっちへ行きたい、こっちへ行きたいと指図する。私はルビーの言うところにエアカーを飛ばして久しぶりにホウエンのあちこちを飛び回った。
まあ、恋人ごっこと言っても、この関係はふだんと変わりないな。
ただルビーはいつもよりか多少ワガママで、こういうところが恋人っぽいと思ってるところなのかな、とおもう。
それと、エアカーから降りて歩くときには必ず私の腕を抱いてくる。
本当は腕を組みたいところらしいが、微妙に高さが合わないので私の下ろした腕をルビーが両手で抱くようにして歩くので妥協しているらしい。
なんというか……。かわいいな。
ルビーはだれかに甘えたくてこんな冗談を持ちかけたのかもしれない、と思った。
彼の父親はわりときびしいし、その父親が不在のことも多い家庭で一人息子として母親を守る立場で、いままでだれにもうまく甘えられなかったのかも。
恋人という立場で、しかも「冗談ですよ」の一言で片付く今日なら、そういう意味ではちょうどよかったんだろう。
そんなことを考えながらミナモの町を歩く足をふと止めて、いきなり立ち止まったことに不思議そうに見上げたルビーの頭を私は優しくなでた。
普段なら子ども扱いとして「やめてくださいよ!」といやがりそうなものだが、恋人としてやるのならいいだろう。
ルビーは私を見上げたまま、おとなしく頭を撫でられていて、やがて目を細める。
なんて露骨に、気持ちよさそうにするんだろう。撫でているこちらまで何だか幸せになってしまう。
あんまり、こんなことされることも少なかったんだろうな。人に頭を撫でられるのって、気持ちいい。それは大人になったって。
今日は、存分に甘えさせてやろう。
一緒に町を歩いて、買い物して、カフェでお茶を飲む。
普段は仲がいいとはっても確実に置いている距離が、今日は近い。
ルビーが人と距離を詰めるのはたぶん余りないことだろうと思うから、例え今日限りの冗談にせよルビーと詰められた距離に、私はいくらかの優越感を味わう。
ルビーは、本当に楽しそうだった。話しかければ本当の恋人の様にためらいも無く嬉しそうな表情を見せて答えるし、私のちょっとした行動……例えば私のほうから手をとるとか、ルビーを女性の恋人と見立ててのレディーファーストのように扱ういちいちの動作に、まるで恋する女性のような、恥じらいの表情や、恋人としての幸せそうな表情を見せる。
私はその見事な演技に思わずのめりこんでいってしまうような気がした。
ふと疑問に思う。
……どこまで、演技なんだ? ルビー。
……どこまで、冗談でやってるんだろう。
私に向けられるルビーの瞳にきらっと光る恋のきらめきのようなもの。
そんなところまで、うまく演じられるものなんだろうか。
それよりなにより、はたしてごっこ遊びにそこまでやる意味が、あるのか……。
カフェでお茶を飲みながらチラッと見やった視線に気付いて、ルビーはにこっと笑った。
「師匠、好きですよ」
「うん……」
「師匠のきれいなところも、かっこいいところも、優しいところも、上品で優雅なところも、好きです」
たとえ恋人ごっこのお世辞だとしても、そんなに褒められては……。私は照れ隠しに紅茶を口へ運び、おいしい紅茶をこくんと飲む。
恋人だったら、ここで答えてあげなくてはな。
「私も、ルビーが、好きだよ」
「ボクのどこが好きですか?」
「かわいいところ」
ルビーは意外そうに「えっ?」と言う表情をする。
「ボク、かわいい、ですか?」
「うん。私から見たらね、かわいくってしょうがない」
私は笑って、ルビーに手をのばす。ルビーの柔らかな頬に触れて、軽く撫でて。
ただそれだけ。でも、頬を、どう撫でられたら気持ちいいのかって私はよく知ってる。恋人にこうしてもらうのがすごくうれしいってことも。
これはルビーの仕掛けたよく出来た恋人ごっこ。だったら出来すぎた恋人役で私も答えるべきだろう。
ふわっとルビーの頬が赤くなるのを見た。それから紅い瞳が心持緊張して、表情がこわばる。でも、同時にうっとりもする。動揺してしまっているのが手に取るように分かった。頬を撫でたくらいで、余裕が崩れて、本心からドキドキしているのが見て取れる。
……そういうところがかわいい。そう言われるのは不本意だろうから言わないけど。
こんな恋人がいたら、いいかもしれないな、となんとなく私は思った。
「……そろそろいこっか」
ほおからそっと手をはなして言う。
あっという間に時間は過ぎる。今日はほんとにあちこちへ行って。
いつの間にか日も傾き始めてきていた。ここから先急に寒くなってくるだろう。
「はい」
ここでの行こうか、はそろそろ帰ろう、の意味になることを悟って、ちょっと悲しそうな顔をするルビーに、わたしは思わず、
「今日は夕飯うちで食べていかない?」
と提案していた。ルビーの、悲しそうな表情を消したくなって思わず。
「え、いいんですか?」
「うん、夕食に何か、買っていこう」
表情が、くるりと変わる。ほんとに嬉しそうにする。
それを見てなんだか私もほっとして、嬉しくなった。
こういうの、まるでほんとうの恋愛みたいだな……。
私はぼんやりと思う。
いつしか相手の表情ばかり気にしている。笑って欲しい、と思って、無意識にそのための行動に出る……。
夕食何にしようか、と店を回っているうちに、日も落ちてくる。
結構肌寒くなったあたりでやっと食べるものを決めて、二人分買って帰る。
寒いので、恋人らしく寄り添いながら。
その帰り道、夕暮れのなか、町外れに止めておいたエアカー乗り込もうというところで、ルビーがついっとわたしの服を引っ張った。
「師匠」
「なに?」
「あの、ボクたち恋人だったら……」
真紅の瞳が、私を見上げる。吸いこまれそうな赤の色……
「キスしてください」
言ってルビーは瞳を閉じた。
ああ……。恋人、キス。……そうだな。
何の疑問も無く。
恋人だからとためらいもなく、私はその唇にキスを。
ふに、というあまり味わったことがないくらいの柔らかい感触。
なんだか離すのが口惜しくてキスは少し長めになる。
……もしかするとその間に、何かが変わってしまっていたのかもしれない。
私は気付かなかったけど。多分、そのときから、わずかに均衡のようなものがくずれだした。嘘と、本当の境目がゆらりと揺らぎだしたのに気付きもしない。
唇を離して、見たルビーは前より幾分か美人になったように見えた。
女の子はキスをした後まるで魔法がかかったように美人になるもの。
ああ……ルビーは男の子だったか。
そんなこと考えて、ふ、と笑う私にごく自然な動作でするりと抱きついてきたルビーを軽く抱きしめる。
外は肌寒い。ルビーの体温は、暖かい。
その瞬間、確実に私は恋人を演じる、なんてことは忘れていたと思う。
しばらくそうしていて、やがて抱いた手を離した。
「帰ろう」
「はい」
いつ「うそです」と、いうんだろうな。
おいしい夕食を仲良く食べながら、私はそんなことを考えていた。
そう、これは恋人ごっこで。最後にルビーが「実はうそだったんです」と言っておしまいになるはず。
多分この夕食を食べ終わったら、言うんだろうな、そんなこと考えながらスプーンでスープをすくう。
ルビーのほうを見ると、にこ、と笑う。私も笑い返す。こんなこと、いつものこと。だけどやっぱりごっこでも、恋人だと違う。こんなちょっとのことがいちいち意味あることになる。
夕食が終わって、2人で片づけして。それから食後のお茶を飲む。
お茶でも飲もうか、と言い出したのは私。
そういう場を作れば自然とこの恋人ごっこの終わりを告げる言葉を、言い易いかと思って……。
わざわざ。
そんな場を作ろうと思考を働かせた時点で、私はすでに何かにあせっている。そのことに気付かない。何に焦っているのかも分かってない。
「きょうは、とっても、楽しかったです」
紅茶の湯気をふうっと吹いてルビーがつぶやいた。
「わたしも、楽しかった」
「もう、こんな時間なんですね。帰らなくちゃ……」
といって、時計を見たあと、ルビーはソファーで隣に座るわたしの瞳を見上げる。
なにか、すがるような瞳……。
「……別れるのが、淋しいです」
その言葉を聞いて、その瞳を見ながら、次に私の口からあまりに自然に出てきた言葉は。
「だったら、泊まっていったら?」
何を、言い出す……。
「……いいんですか?」
「いいよ。ベッド一つしかないけど、私はソファーで寝るし」
私は何を言ってるんだ。また自分から、ルビーを引き止める。
でも、今日中は、恋人だからこれでいい。……と、合理化する。
まだ、時間はある。
もう少し。ルビーといたいような、気がする。もう少し。なんでだろう。
私は何となく、隣のルビーを抱き寄せて、きれいな黒髪に口付けた。
ルビーが「ん……」と小さく声を上げて、自分からも身を寄せてくる。
多分、寝る前に、嘘だったと言う。それで、おしまい。
何で私はそんなに彼が嘘だと、冗談だと言うときを気にかけているんだろう。
わたしは、なんだかおかしい。
一方で言うようなシーンを用意していながら、それを一方で阻止して引き伸ばしているのも私だ。
何をしてるんだ。どうしたいんだろう……。
そして何に、あせってるんだろう。
ルビーが先で順番に風呂に入って、私が出てから、寝室に様子を見に行くと、ベッドの上で、先に上がったルビーはぼんやりしていた。
入ってきた私にはっと気付いて、「あ、師匠」と笑顔を作る。
「パジャマ、貸してくださってありがとうございます」
「うん、わたしのサイズのしかなくて悪いけど、それでなんとかなったかな?」
「はい。なんとか」
と手の先の出ない長い袖を見せて笑う。
「よかった」
そう言って、わたしはベッドの縁に座る。
……言うことが、あるだろう、ルビー。
今日中にいわないと、全て本当に、なってしまう……。
そう思って、私は言葉を待っている。
「師匠」
ルビーの、改まった口調。
「なに?」
と言ったところで背中に温かい感触がした。
細い腕が、前に回される。
ルビーが背中からぎゅっと抱きついてきたのだった。
「……好きです、愛してます」
「うん」
「ボクはししょうの……恋人、ですよね?」
「……うん」
慎重に確認する口調。まだ、嘘だと言わない。恋人の関係。
でも、ふと、妙な雰囲気になっていってることに、気付いた。
押し付けられたルビーの体が、熱い。服越しの肌を通して伝わる心臓の鼓動が、速くなっていく……。
……?
「だったら、師匠、ボクを……」
そこまで言って、ルビーは一瞬ためらい、意を決して言葉を続ける……
「抱いて、ください」
言われた言葉に、さすがに驚いた。
思わず振り返って、ルビーの顔を見る。
ルビーは頬を赤くして、でも、視線は逸らさず真剣なまなざしで私を見る。
そのまなざしにドキリ、と心が動かされた。
……本気……? なのか? ルビー。
「……だめですか? ボクじゃまだ子供過ぎる……? ししょうに、ボクはつりあわない? 恋人でも、だめですか?」
切実な問いが、一心な想いが自分に向けられて、私はくらくらした。
あ、だめだ。なにかやばい……。
それ以上、なにも、言わないでくれルビー。
私はもう、ルビーに心動かされてしまっている。
こんな距離で、これ以上、キッカケを与えないで。
「ボクは、師匠が好きで好きで、どうしようもない。どうしても、だ、抱いて欲しい、んです……抱いてください」
きゅ、ととられた手から、電流ののようなものが体を駆け巡る。
見上げる恋に潤んだ赤の瞳で、切ない声音で言われて、わたしの中の何かがそのときふつ、と切れる感覚がした。
次の瞬間、私は腕を伸ばしてルビーの細い体をを抱きしめて、そのままベッドに、押し倒すようにしてたおれこむ。
いけない、と、かろうじて理性が……働く。
その理性が、何かをしてしまわないようにと胸の中に、ぎゅうとルビーを抱き込んだ。
そのまま横になって、どうすることも自分に許さず動かずルビーを抱いたまま。
上がっている心拍数が、耳障りなくらい鼓膜を振動させる。
腕の中のルビーの心拍数もまた、手に取るように分かった。
「これで……いいかな……? ルビー。抱きしめてる……」
上がる呼吸を押しとどめて私はつぶやく。
「し、師匠、ボク……子供じゃないですよ。抱くって意味は、こういう意味じゃないって、知ってて使ったんですよ」
腕の中でルビーがあがく。
「子供だよ」
「え」
「……子供なんだよ、ルビー。背伸びしたって、なんもいいことなんてない。……これで、満足してなさい」
いつもの指導するの時のような口調でそういうと、あがく力が、ふっと弱められた。
少しの沈黙の後、はい、と小さく腕の中で声がした。
そのまま……
抱き合ったままで、二人とも動き出そうとしない。
ルビーは、おとなしく腕の中で、小さく息をしているし、私も、ルビーを強く抱いた手を少し緩めただけで、いまだ抱いている形は変わらないまま。
動き出す理由がないのなら、ルビーがこの腕から抜け出そうとしないのなら、抱き合っているこの形を解く必要なんて、ない。
ただ、一つ、気になることは、時間が迫ってきているということだった。
エイプリルフールが終わる。
これは、恋人……ごっこ。
ごっこ、だろう? ルビー……?
君が今日中に「うそだった」といわないと、このまま……全て真実だったと言うことになってしまう。
時間の感覚が分からないまま、ただ抱き合ってベッドの上で横になっていた。
緊張が、高まる。
カチ、カチと時計の秒針が、この静かな部屋にやけに大きく響いた。
私はちらりと、時計を見る。11時、55分。
ルビーも、時計を気にしているのが分かった。
別に明日になってから嘘だったといったって、なんだって、そんなの、本当は大した問題じゃないはずなんだ。
ただ、冗談にするなら……この時間のうちに言っておかなくては、何かが、引き返せなくなってしまうような、気がする。
それはルビーも感じているはず。
始めたゲームを、終わらすのは始めた本人のルビー。
どうするつもりだ?
私は、何でこんなにドキドキしてしまっているのか分からなかった。
確実に心拍数が上がっている。不安な感じが、心をとらえる。
ルビーが、言えば、全て終わりになる。
恋人「ごっこだった」ことになる。
早い心拍数に逆らってゆっくりと考えていって私ははっとした。
そうか、私は……
ちょっと時計を見てから瞳を閉じた。
11時59分……。
私は、このままうそにならずにこの一日すべてが真実ということになってしまうのを恐れている。でも、同時に……今日のルビーとのこの関係がエイプリルフールのひとつの嘘として終わってしまうのを、惜しいとも、……思っているんだな。
「師匠」
そのとき聞こえてきたルビーの声。私の腕の中でくぐもっているけどちゃんと聞こえた。
「……なに?」
秒針が、カチ、カチと響く中での、終幕の予感。
「これ……今朝のこの、告白は」
「うん」
ルビーがすうっと息を吸う。
「うそ、だったんです。『付き合ってください』って、エイプリルフールの冗談、ですよ。……ふふ、引っかかりましたねっ」
演技っぽくルビーが言った。
「そうか……。思わず本気にしてしまったよ。なんだ、冗談だったのか、ちょっと……残念だな」
私も、演技っぽく、答えた。
私はルビーを抱いていた腕を解いて彼を引き離す。
通常おくくらいの距離をとって、横になったまま、ルビーと顔を見合わせた。
それから、おたがい、ふふ、と笑い合う。
「また手の込んだ、冗談を」
そこで、カチリ、と秒針よりちょっと大きな音が響いて……
真夜中の12時になった時計が、4月1日の終わりを告げた。
END
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