| ガトーショコラができるまで ダイミク、バレンタインの話。ミクリが一枚上手。
「…………だいたい、僕には向いていないんだ」
めったに使わないくせに、使ったとたんに惨状と貸してしまったキッチンを目の前にダイゴは呆然と立ちつくしながらポツリとつぶやいた。
台の上においてあるのはボール、皿、鍋……どれも共通して茶色で染められている。
キッチンは甘い香りにあふれかえる。キッチンどころか、トクサネのこの小さなダイゴの家じゅうに甘ったるい香りがあふれて、そろそろダイゴの嗅覚も麻痺してきたところだ。
全てのトレーナーを退けてきたチャンピオンはここにきて、苦戦を強いられていた。
その相手は、人でもポケモンでもなく、チョコレート。
「ああ、もう。こんなはずじゃないのに。僕はなんでこんなことを」
額を押さえた指先に違和感を感じて離してみれば指先にチョコレート。今触れた額にもチョコレート……。
「チョコなんて、嫌いだ……」
指先をぺロッと舐めて悪態をついた。
ダイゴは、ガトーショコラを作ろうと、悪戦苦闘していたのだった。
こんなはずではなかったのだ。ダイゴの計算では。
本当なら、ミクリが手作りのチョコをくれるのを待っているだけでいいはずだった。
それは、三日前のこと。
「……え、チョコくれって?」
いわれたミクリは目をぱちくりさせる。
「うん。ミクリの手作りのチョコがほしい」
ミクリは笑った。
「何言ってんだ。いくらバレンタインだからって、女の子じゃあるまいし」
「別にいいじゃないか。ミクリ、お菓子とか作るのけっこう得意で好きなんでしょ?」
「まあねえ。嫌いじゃないけど、わざわざこの時期に作るっていうのもいかにもすぎて。……自分で買ってきたら? そのほうがお手軽だし、色々売ってて物色するのも楽しいと思うよ」
普段はやたらと乙女チックなところがあるくせに、こういうところはなぜかそっけない。
「ミクリ、僕のこと嫌い?」
「はあ? 何でそうなるんだ。まったくもう。意外とこういうイベント好きなんだから……あ、そうだ」
そこでミクリが提案した。それはここでひとつ勝負しようじゃないか、ということだった。
「ポケモン勝負。ダイゴが勝ったら私は愛でも何でも込めてダイゴのためにチョコ作るよ。ただし、君が負けたら……」
「ら?」
「君がわたしのためにチョコを作る。……どう? ちょっと面白いでしょ」
「え、僕はお菓子どころか、料理も何も出来ないんだけど」
「じゃあ、やめとく?」
「い、いや、まって。……つまり、ポケモン勝負に勝てばいいわけだよな」
「そうだね。まあ、私も負けるつもりはない。ダイゴのお菓子作りなんて、ミスマッチなもの、見てみたいし……」
いたずらっぽくミクリの瞳がダイゴを捉える。あまり見せないような子供みたいなその表情もまた魅力的なミクリの瞳に、ダイゴは強気で不敵な笑みで返した。
「僕を誰だと思ってるんだ。僕だって、負ける気がしない。よし、勝負だ……!」
というわけでその場で手持ちの6対6の勝負をして、ダイゴは見事に負けたのだった。
そしてダイゴは不本意なお菓子作りを。
ミクリは、どうせなら「ガトーショコラ」を作ってくれという。
ガトーショコラ?
食べたことはあるけど、そんなの人間が作るものだなんて考えたこともなかった。
最初からあの形でこの世に存在してるような気がしていた。
お菓子なんて作ったこともないダイゴはそのときはやけになっていて、なんでもこいだ、と請け負った。
そしてこうしてなれないお菓子作りにチョコをいくつも無駄にしているのだった。
「……だいたい、最初に出した一匹の相性が悪かった……ていうか、そもそも水タイプに対しては弱点ではないにしてもわりと無防備なんだよなあ……とくぼうが低いのに、向こうはモロにとくこうだし、すばやさも向こうの方が速いし……」
ブツブツ文句をいいながら、再びチョコを溶かし始める。
「なに一人で文句いってんの」
笑い声がして、振り返るといつの間にかミクリが家に上がってきていた。
「ミクリ……」
「あーあー……こんなにチョコ無駄にして」
キッチンのあちこちに見捨てられた失敗したチョコたちの器を見渡しミクリが呆れ顔になる。
それから、ダイゴの今溶かしている鍋を見て、はっと慌てたような表情になった。
すぐに寄って来てその取っ手をとる。
ダイゴの手の上から、ミクリの手が重ねられた。
ミクリはすぐに鍋を火から離させる。
「……あのチョコたちの残骸の原因はこれか。だめだよ、直接火にかけては……」
「?」
「あ、ほら、この君が参考にしている本にも湯せん、ってかいてあるじゃないか。湯せん……大きめの鍋にお湯を沸かして、そのお湯の上で別の鍋でチョコを溶かすんだよ」
「??」
ミクリはすぐ近くにあるダイゴの顔をのぞき見る。
至近距離で視線がばちんと合って、ここに来てはっとミクリは慌ててしまった。
そういえば手も重なってつかんだままで。普段あまりないくらい距離が近い。
「……ゆせん?」
だが、当のダイゴはそんな珍しくもおいしいシチュエーションには気付いてないらしかった。
意外なことにも今は、上手くいかないお菓子作りにばかり意識が向いている。自分が何度やってもうまくいかなかったガトーショコラへの第一歩、チョコ溶かしの成功への道が開るかもしれない期待に瞳にきらんと希望を宿し、ミクリの次の言葉を待って顔を覗き込む。
「あ……ああ。さっき言ったとおりに、まず、お湯を沸かして」
「お湯か……よしっ」
ダイゴは新しい鍋を出してきて、手際よくお湯を沸かした。
そこに今溶かしかけたチョコをかける。
「チョコ溶かすときの基本だから、覚えときな。……あ、バター入れた?」
「いや、入れてなかった」
「かして」
「はい」
そうして鍋のなかではゆっくりとチョコとバターが溶けていく。
その間にミクリの指示でダイゴはメレンゲを作る。
メレンゲ作るときに分けた黄身を溶かしたチョコとあわせて手早く混ぜる。アーモンドパウダーとコーンスターチを加えて……
「オーブン、あっためといて」
「やり方わからないよ」
「ああもう……全然使わないの? いい機能のオーブンなのに……」
ミクリがオーブンをつけて、ダイゴがチョコとメレンゲをあわせて混ぜる。
「あ! そんなにぐるぐる混ぜちゃダメだよ。さっくり」
「サックリ?」
ミクリがゴムベラを持ち出してきて、ボールを受け取りさっくり混ぜる。
その様子にダイゴは見入っていた。
まるで母親のお菓子作りを隣で興味深々で見ている子供みたいだな、とミクリは思う。
彼にはそんな思い出はないのかも。
御曹司様の元へはいつも一流シェフによって完成された高級おやつがぽんと出されていたのだろうな、などとその光景を想像してみる。
うらやましい限りだ。
きっとダイゴはガトーショコラは誰かが作ったなんて考えもせず、もとからあの形でこの世に存在してるものとでも思っていたに違いない。
「すごいな……こうやって出来てくのか」
「楽しいでしょ?」
「……まあ、一人でやってるとめんどくさいだけだけど、ミクリと一緒だから、楽しい」
ふわふわに混ざっていく生地から目を離しもせず言う。
――ミクリと一緒だから、楽しい。
ダイゴのあまり考えもなく出るそういう一言が、実は下手な口説き文句よりよけいにミクリをときめかせる。
「……ダイゴ、ケーキ型出して」
「わかった」
ドキドキしているところを誤魔化すように言えばダイゴはすぐに持ってきた。
本当にあるとはな……。と感心しながらミクリは受け取ったケーキ型にバターを塗る。
「独身男性のキッチンにケーキ型があるとはね。ハンドミキサーもそうだけど」
「ふふ、君が嫁いできたときのことを考えて、何でもそろえてあるんだ」
「うそつけ。どうせ息子思いのデボンコーポレーション社長がこの小さい家に完璧すぎるほど何もかも詰め込んで渡してくれたんだろう?」
「まあ、そうだけどね」
「ダイゴなんかに、もったいないなー……」
「だったらちょくちょく、君がお菓子つくりに通ってきてくれればいい。そうすればもったいなくないよ」
ミクリの顔を覗き込んでダイゴが色目で誘って言う。
生地を移しおわったミクリはその瞳をするりとかわしてケーキ型を持ち上げオーブンへ向かった。
「そんなこといってないで、自分で作るようになりな。……そうしたらダイゴの作ったお菓子食べに来るよ」
「僕が絶対出来ないだろうと思って言ってるな……」
ミクリはふふっと笑って、オーブンのふたを開ける。
オーブンにケーキ生地を入れて、ふたを閉めて。後は焼けるのを、待つだけ。
「……なんとかなったかな。上手く焼けるといいんだけど」
ガトーショコラが焼ける前に、キッチンを片付け、ミクリがお茶を入れて……一息ついて2人で紅茶を飲んでいる。
「結局ほとんどやってもらってしまったな。やっぱ僕には無理だよ」
ダイゴが苦笑いして言った。
「無理だろうと思っていたから、私は必死になって勝負、勝ちにいった」
紅茶を手に、微笑んでミクリが言う。
「どういうこと?」
「どうせ誘ったって、君はお菓子作りなんて一緒にやってくれやしないだろう? だから君に無理矢理お菓子作らせて、それを手伝うって形にすればいいかと」
ダイゴは目をぱちくりさせた。
「そのために、今回の勝負は真剣も真剣だったよ。私はダイゴとお菓子作り、したかったんだ」
ふうっとガトーショコラの焼ける甘くて香ばしい匂いが漂い始める。
ミクリがオーブンに視線を投げやってチラッと様子を見る。
「さっき温度下げたから、あと10分くらいかな……。ケーキ焼けるのを待つ時間は、一人だと持て余してしまうけど、二人でいると、こんなに楽しい。私はやっぱりダイゴと一緒が楽しい」
今日はやけに素直に幸せそうにするミクリにダイゴは調子を狂わされて、それでもこの甘い匂いに包まれた午後の時間の楽しくて幸せなのはダイゴも変わらず。
「今日はなんだか君が一枚上手だな」
敗北宣言をしてミクリの入れたおいしい紅茶を飲む。
こうしてのんびり幸せそうなミクリと話して。あと少しで、ガトーショコラが焼けて。
そしたら今度は出来たガトーショコラ食べながらまたお茶の始まり。
なんておいしいバレンタインデーなんだろう、とさらに強くなってきた甘いチョコの香りにうっとりしながらダイゴは笑った。
END
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