午後の恋

アダユウ。いちおうユウキは黒髪のイメージ(ついでにくせっけ)。


こくん、と飲んだ紅茶は、香りがした。
紅茶が香る……そんなの、本の中でだけの表現だとユウキは思っていた。
それが、アダンがお茶の用意をし始めて、紅茶が入ったときから、紅茶が香る……。
ユウキはなんだか魔法みたいだな、と思った。
魔法みたいな、現実離れした雰囲気の午後。心を落ち着ける香りに包まれ紅茶を口に運ぶ。
ユウキはルネの、アダンの家にいたのだった。

「……負けました」
遡る事、ほんの少し前。ユウキの小さな呟きが、ルネのジム、バトルフィールドをはさんだアダンの耳元へかろうじて、というくらいの大きさで届いた。
相手のタイプも手持ちも分かった上でさんざんに対策を練ったユウキの戦法が、アダンの前であっけなくも崩れて呆然としてのつぶやきだった。
二度目の敗戦。昨日も負けて、今日も負けた。
トレーナーとのバトルでも、ジム戦でだってユウキは二度連続で負けたことはなかった。
それがここへ来て。
最後のジムで2回やっても勝てないとは……ユウキにとってはショックなことだった。
呆然としているユウキのところまでやってきたアダンは、ユウキの頭をぽんとたたいて優しく言ったのだった。
「ユウキ、急ぎすぎです」
と。

ユウキは紅茶のカップを傾けて、きれいな紅の飲み物を飲む。
深い味がした。香りがあって、味がある。これは自分がいつも飲んでいるティーバッグのただ色がついているだけの紅茶なんかとは、名前こそ同じだけれど全く違うものなんだな、と思う。
そしてこの空間も、同じ世界上の場所だけど、自分が生きているのとは、まったくちがう世界のような気がする。ユウキは行儀が悪いと思いつつも、この紅茶を飲んでいる部屋を見回した。
一つ一つ凝った細工のされた家具や、上品な調度品、壁にかけられた油絵。
同じ人間が住む空間として、自分の実家も、秘密基地も、この雰囲気とはかけ離れすぎている。
自分の生きる現実とはかけ離れたこの空間で、ユウキはまるで夢でも見ているような感覚で紅茶をこくんと飲んだ。いい夢か、悪い夢かは分からない。
「……そんなに急いで、どうするんですか、ユウキ」
と、自分も紅茶の香りを楽しみながら、アダンが問うた。
「急いでたつもりはないです……ただ、自分に出来ることをこなしてきたというか……」
「才能が、あったと言うわけですね」
おもしろい、というふうにアダンはわらって、ユウキをまじまじと見つめた。


たまに、そういう子がいる。子供でまだ本人も気付かないがものすごい力を持っていて、それを疑いもせずただ力にしたがって上りあがってくる。
野心とか目標とかも持たないまま、よく分からないままに才能につき動かされてバトルを勝ち抜く。
ユウキはそのタイプだろう。
その才能に、アダンは無条件で惹かれるのを感じた。
アダンは人に備わる才能というものに魅力を感じる。
だから、才能の片鱗をきらめかせるユウキに興味を持って、思わず引き止めたのだった。
本来なら問題なくバッジをわたせるレベルのユウキのバトルの巧さに自分もつい本気を出して、必死で勝たれるのを食い止めてしまった。
ジムリーダーの仕事としてはこれでは失格。
けれどつまらないこの世で珍しくも自分が向けた、少しの関心のためならこのくらいは許されるだろうとアダンは思うのだった。
それに、ここでユウキを引き止めておこうと思う別の理由もある。
アダンはユウキの、自分でも気付かず疲れていることを見極めて、ここで引止めようと……ここをさらなるバトルの地、チャンピオンロードへ向かう前の休憩地点にしてやろうと思ったのだった。
最後のジム、ルネはそういう役割も担っているとアダンは思っている。
「もうちょっと、このルネでゆっくりしていきなさい。負け続けるのも悪くない」
諭すようにアダンはつぶやいた。


そうなのだろうか……紅茶を飲み、アダンの言葉を聞きながら、ユウキは思った。
ユウキはそんな体験したことが無いからわからない。
負け続けることが、いい? ここで足止め食らうことが?
たしかに勝ち負けに、そんなにこだわってきたわけではない。でも負けるのがいいとはあまり思えなかった。現に今、負けて悔しいと思っている。
「まあ、負け続けるのがいやだったら、がんばって私を倒すことですね。でも最後のジムは、そう甘くはないですよ」
ユウキはアダンのその言葉にうなづいた。
「はい……がんばります」
そういってまた紅茶をちょっと飲んだ。
そういえば、こんなにゆっくりするのも久しぶりだった。
負けて焦っている、でも同時にここで足止めくらってこうして飲んだ紅茶にほっとしているのも事実だと思った。
アダンが言っているのはそういう類のことなんだろうか……。
ユウキはぼんやり考える。
アダンはそんなユウキをしばらく見ていたが、あることに気付いて声をかけた。
「ユウキ、室内では帽子ははずしておきなさい。行儀が悪いですよ」
言われてユウキが「あ、すみません」とあわてて帽子に手をかける。しかし、はずそうとした、その手がはっととまった。
「あ……」
「どうかしましたか」
「あの……ぼうしは……」
「?」
帽子の端に指を引っ掛けた状態でためらっていた。
ユウキの迷いの様子を見てアダンがその行動を引き止める。何かはずしたくないワケがあるのだろう。
「……そんなにはずしたくないのだったら、かまわない」
「いえ、はずしたくないというか、はずしたほうがかえって迷惑になるというか……」
「……?」
不思議そうに見つめるアダンの前で、ユウキはためらいながらもそっと帽子をはずした。
はずしたユウキの頭を見て、アダンが思わず噴き出した。
「そ……、その髪は……」
やっぱりはずすべきじゃなかったと顔を真っ赤にしてユウキがせめてもの悪あがき、不思議な形に跳ね上がる髪を手で押さえつけた。
見事すぎる寝癖。
ただでさえユウキはくせっ毛なのだが、それがふわふわとあっちに曲がったり、こっちに曲がったりしてまるで新鋭アーティストの作り出した芸術作品みたいだ。
朝から帽子で押さえつけていたからいくらか何とかなっているかと思った考えは甘く、ちっともおさまっていやしなかった。
その寝癖のあまりの見事さにアダンは思わず笑い出して、それを口元を押さえてなんとかおしとどめ、それでもこらえきれずに笑い出す。
「はっはっは……いや失礼……ふっふふ……」
アダンがそんなふうな笑い顔を見せるのはなんだか意外で、ユウキは髪を押さえつけつつぽかんとしていた。
それに気付いて、アダンがもう一度「失礼」といって、なんとか笑いをおさえ込む。
「……すごい寝癖、見事ですね」
こくんとうなずき、やはりこっちの方が失礼だったか、と帽子を被りなおそうとするのをアダンが止めた。
「ちょっと、待ちなさい」
そういって立ち上がり、隣の部屋へ向かうと、手に何かを持ってすぐ戻ってきた。
それはブラシとくし、それから手鏡で、アダンはソファーに座って、「ユウキ、こちらへ」と自分の隣をさした。
ユウキがそれにしたがってアダンの隣に座ると、アダンはユウキに後ろを向かせて、持ってきたブラシでユウキのみごとな寝癖をとかしはじめたのだった。

髪のもとの方を押さえて、強く引き過ぎないようにしながら丁寧に先のほうからブラシがかけられる。
アダンがゆっくりとユウキの寝癖をほどいていった。
「いつも、ちゃんととかしてるのですか」
「あ、はい。……夜とかしてから寝るのですが……朝はたいていこんな感じのすごい寝癖で櫛も通らないので、ごまかすためこのまま帽子被っちゃうんです」
「たしかにこれは……」
といくらか苦戦しながらも、ユウキが毎朝くしも通せずにいる寝癖にブラシをかけ、アダンは器用にもつれた髪をといていく。
魔法みたいだな……とユウキは思った。
紅茶が香るのと同じ要領で、不思議に髪も解けていく。それは優雅な魔法みたいだった。
おとなしく髪をアダンに任せながら、ユウキは何となく目を閉じた。
そうすると髪をすくうアダンの指が地肌に触れるのが妙に敏感に感じられてなんだかどきっとしてしまってまた目を開いた。
「たぶん、櫛でとこうとするから苦戦するんですよ。こうしてブラシで少しづつといていけば……ほら、ちゃんとなんとかなる」
アダンのテノールの声が、優しく心にひびく。だんだんとけてきてテンポよく通されていくブラシの感触と、それから髪をすくう時にときおりふれるアダンの指。
ユウキは不思議に心臓が速く打っていくのを感じた。鼓動は早いのに、心はおちついている、不思議な感覚がする。
なんだか心地いいな……と思ってユウキはまた目を閉じた。

母に髪をとかれるのはあんなに嫌だったのに。
……母のやりかたは、ちょっと乱暴だったからな、と思い出した。

アダンの髪をとく手つきは優しくて丁寧な感じで、ユウキは今まで誰にもそういうふうな扱いは受けたことがなかった気がした。
ユウキがどこかうっとりしてしまっていると、「よし、できた」と声がした。
手鏡をわたされて、それを覗き込むと、寝癖がきれいにもどってる上に、自分ではできないくらいに、うまい具合に髪がととのっている。
ユウキはぼんやりその鏡を眺めた。ちょっと自分じゃないみたいだ。
アダンのほうを振り向くと、アダンはうん、とうなずいて笑った。
「もともと、けっこうなくせっけだったんですね」
といって、柔らかく曲線を描いて外や内にはねるユウキの髪にちょっと触れた。
アダンの手が、自分のほうに延ばされたことに心臓が跳ねる。今度はそれだけでおさまらずそのままどきどきし続けた。
なんだか心がおかしい、とユウキは思った。さっきから、ずっと。アダンの近くにいると、おかしい。
「やっかいそうなくせっけだけれど、なかなかいいですよね」
「え?」
「この髪型、いいじゃないですか。帽子被ってしまうのはむしろもったいないですよ」
ユウキは自分で自分の髪に触れてみた。朝起きた時はちっとも言うことを聞かなかった髪が、今はおとなしく指にからみつく。
こんなくせっけの髪でも……いいなんてそんなこと、あるんだろうか。
小さいころから母は自分の髪をとかすたび「やっかいなくせっけねえ……」とつぶやいていた。そしてなんとかしてまっすぐにさせようと悪戦苦闘していた。……いつからかそれも諦めてしまったが。
だから自分はこのくせっけがいやだったのだ。まっすぐにならない髪が。帽子をかぶっていたのは寝癖を隠すためもあったが、そもそもはこの嫌いな髪を隠すためだった。
だけど……。
アダンはこの髪を母のようにまっすぐにさせようとせずこの癖のままでこんなふうにまとめてみせて、これが魅力的だといってくれた。
心の奥でなにかがほっと息をついた気がした。
「このブラシ、新品だし、さしあげますよ。せっかくいい髪質なんだから、もうすこし髪型にも気をつけてみるといいですよ」
そういってきれいにおさまったユウキの頭を優しく撫でた。
とたんになぜかまたどきんと心臓が跳ね、頬がかあっと熱くなる。
何でそんなふうになるのか分からず、ユウキはそのことを指摘されたらどうしよう、と焦って顔を下げた。
「は……はい。ありがとうございます」
受け取ったブラシを両手で大事そうに握り締めて、ユウキはうつむいたまま礼の言葉を言った。

……


自分の秘密基地に戻ったユウキはその夜、珍しく眠れなかった。
いつものように寝る前に明日のバトルの確認をして、ポケモンの状態を一匹づつみてそれぞれにおやすみを言った後ボールに戻して。
そしてアダンにもらったブラシで髪をとかしてベッドにつく。
ねむれない。
いつもは、ある程度の距離を旅して、いくつかバトルをして、ポケモンの訓練をして……それでちょうど一日の疲れがピークに達して程よく眠れるのだったが、そういえば今日はアダンの家でゆっくりしたのだった。それにジム戦で足止めを食らっているために場所を移動していないから、そんなに歩いてもいない。
めずらしく今日は疲れてないんだな……とユウキは思った。
眠れもせずに目を瞑っていると、思い出すのはあの魔法のような午後の雰囲気だった。そして思い出す、その雰囲気を作り出すアダン。
ユウキは横になった頭の、頬にやさしくかかってくる自分の髪に触れた。
自分の指を絡めてくるりと解く。
とたん、そうやって自分の髪にちょっと触れたアダンの仕草を思い出した。
「あ……」
思い出したところに心臓がとくんと打つ。
なぜか記憶が鮮明で。
あのとき伸ばされたアダンの指の、手入れが行き届いたツメがきれいだったこと、アダンの優しい表情、腕を動かしたことによって巻き起こった服の少しの摩擦の音。それから髪をとらわれたことによって感じたわずかな感触、アダンのテノールの声。
思い出して、とと、とん、と鼓動が速くなる。
「あ……なんだろ……」
ユウキは胸を押さえてふとんの上でうずくまった。
いままで感じたこともないような甘く切ない感触が、心を歯がゆいか弱さで締め付けた。
その感じが消えずどうしようもなくもどかしくて、胸に当てた手を開き、服の上から心臓のあたりに軽くつめを立てる。そのつめの刺激くらいでは、心の歯がゆい所に届かない。ず……とそのまま少し力を入れて下方へ引いた手が力を失ってずるりと体の下に落ちた。

はあ、とため息をひとつ。
なんとなく、知っている。これは恋だとユウキは思って目を閉じた。

END


 

 

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