残月恋模様

レッドと残月と、樊瑞と孔明。
恋の一方通行。


残月は、手にした治療用の細い針を、とん、と、うつぶせの樊瑞の逞しい背中に打ち込んだ。
とん、とん。
残月は針のことなら裁縫から針治療まで心得がある。それも、針治療の分野にはちょっと自身があって……この技を行使して疲れをいやすことなど、造作もないことだ。
とん、と樊瑞の体に細い針を打ち込む。
樊瑞の、ふう、という妙に色っぽい吐息が聞こえて、残月の頬はおもわず赤く染まった。が、それは覆面のおかげで誰にも知られることはない。

…………

「残月、聞いているのか?」
下のほうから、覗き込む様にして聞いてくるのはレッド。仮面の下のその瞳が甘い。
「ああ、聞いているとも」
「そうか? お前、私を前にしながら、別の誰かのことを考えていたのではあるまいな」
「……まさか、そんなこと」
あるはずもない、という答えにレッドは満足したらしい。
ここはBF団本部の残月の部屋。今は扉を使わずに天井のどこかから入り込んだレッドを隣に居心地のいいソファの上だった。
するり、猫のようにしなやかに身を寄せてきて、レッドは残月に口付ける。
口付ける前に、まるでこれから夢でも見るように瞳を軽く閉じるレッド。
その妙に色っぽいのを見てから目を閉じればすぐに唇のふれ合う感触がした。
甘い……。まともにキスも知らない残月はそう思った。女人とするより先に、自分はレッドと唇を合わせた。それはこの先の自分の恋模様を示しているように思われた。
自分はこの先、女人など無縁に、男にばかり恋をして生きるだろう。
男にばかり。
その男とは、生涯、もしかするとたった一人かもしれない。
ただ一人、残月が恋する男は……残忍な忍者レッドではなく。
お人よしで優しく、強く、逞しい、かの……。

口付けは、しばし続いてレッドの心が満足されるにしたがって解かれた。それからレッドはやはりしなやかに、ソファの上、体を残月にまといつかせる。
残月は知っている。この猫は、二十四時間中、少なくとも四時間は誰かと体を触れ当っていないと機嫌が悪くなるのだ。
「お前は、私を裏切らないだろう……? 二度と他の誰も愛さないだろう? ……そうだと、私に誓え」
残月はこくりとうなづいた。
「誓うとも」
「そうか」
露骨に、レッドが嬉しそうにした。
「残月、嬉しいぞ。私にはやはりお前がいちばん。だが……」
と、そこでとたんに容赦ない暗殺鬼の瞳に戻ってレッドは言う。
「もしも誰かに浮気なんぞしたときには……分かっているな」
残月は乾いた笑いをレッドに向けた。分かっているとも。殺されるのだろう?
「疑ってくださりますな。わたしの心は、今は、あなただけのものだ」
平気で嘘を、つくものだ、と答えて残月は心で苦笑いした。
自分は……樊瑞を。
好きだと、心に秘めたまま。
こうして嘘も見抜かれずに従順にレッドを愛して愛されて、今日もレッドをまといつかせる。
――早く、飽きてしまってほしい。
レッドの移り気の速さは団内でも有名だ。あっちこっちの男をいたずらに恋に巻き込み振り回して飽きて捨てる。もしくは気に入らなくて殺してしまう。
死ぬのは嫌だから、残月は慎重に、おとなしく愛されている。
こんなつまらない自分なんか、さっさと飽きてしまえばいいのに。
だが、なんのつもりか、こんなんでもう半年も過ごしているのだ。残月の神経はすり減らされる。代わりに、団内は死人も出ず平和だ。
残月は火をつけたキセルから呑んだ煙を細く吐き出した。
ちょっと一服し始めたところに、伸びてきたレッドの手にそのキセルを奪われる。
奪ったキセルをまねして口にくわえて、レッドは煙を吸ってすぐにむせる。ケホ、ケホ、とやってから不満そうにキセルをにらみつけ、その後ぽいと投げ捨てた。
「あんな煙より、私との口付けのが美味いだろう?」
「ああ、そうだな」
残月はコクンとうなずいた。


今はただ……早く飽きてくれ。私はそんなに惚れられるほどのいい男でもない。
好かれても困るのだ。

…………

「それにしても、……おぬしもなかなかな趣味の持ち主だな」
と、うつ伏せになったまま、樊瑞がつぶやいた。
樊瑞の背中には消えない傷の跡が無数にある。針を打ちつつ、ともすれば見惚れてぼんやりしてしまいそうな意識を残月は誤魔化す。
傷は男の勲章だ。樊瑞はどんな戦いを潜り抜けてきたんだろうか。
残月がそんなことに思いを馳せつつ、緩やかに流れる時間、癒しの針治療はまだ続く。
そこに、樊瑞の声。
「あのレッドと、こんなにも長く続いているのはお主が始めてだ。レッドが飽きないというのもすごいが、何より関係を続けられるおぬしもすごい」
「ああ……まあな」
「どこが好きなのだ?」
単純な好奇心から、樊瑞が聞く。
あなたが聞くのか。と、残月は心の中で溜息を。本来なら、あなたを好きな理由をあれこれ言葉を選んで告げたいのだが。
かわりに残月は偽りのレッドへの想いを吐くのだった。
「気まぐれでプライドが高いくせに甘えたがり、猫のようなところだ」
いつも聞かれたときに使う単語を、のろけっぽく並べた。いかにも納得のいきそうな答えだろう。
愛され続けるコツは知らないが、殺されないようにするコツは心得ている。レッドを怒らせないことだ。つまり、自分も愛していると言って、それが嘘だと悟られないこと。
そのためにはレッドに愛されることの心労や本音などというものはこころにしまって、けっして誰にも言わない。
「ふむ……よくわからんな」
と、樊瑞は言う。残月は笑った。
「ははは……それをいったら、かの気難しい策士孔明に恋をしている、樊瑞殿の好みこそ分からぬ」
そう言うと樊瑞は、このときばかりはけだるそうに落としていた頭をわざわざ上げて残月を振り向き、だから、どうしてそうなるのだ、と抗議の声を上げた。
けして自分は孔明が好きなのではない、と。
残月は、おかしそうにはいはい、と返す。まったく、わかりやすいものだ。
孔明を好いているくせに。
樊瑞という人物は、悪の秘密結社にいるにはあまりに正直すぎる。
だから嘘など誰にだってお見通し。樊瑞の本音は誰もが知っている。
……それに彼は、優しすぎるし、誠実すぎる。つまり、文句もないほどいい男なのだ。
孔明は、こんな男に愛されて、おそらくそれを知っていながら澄まして知らん顔している。
好みじゃないのか、焦らしているのか、樊瑞の恋は孔明の思惑一つにかかっている。
――おそらく、疑いもなく樊瑞に好かれているから、安心しきって邪険にしているのだ。
と、残月は思う。
もし、この恋をわずかにでも発展させたいなら樊瑞は、ためしに一ヶ月くらい、孔明じゃない誰かに惚れたふりでもしたらいい。
残月はそう思う。
そんなことがあれば、あの策士はおそらく表に出さずにひどく慌てることだろう。
そんな場面を想像してみて、残月は取り合えず妄想だけで満足することにした。
人は、好意が心地いいものだ。
自分がどんなに好かない相手だって寄せられる好意の純粋な部分に嫌な思いはしないはずなのだ。
その、誰かの好意の中にある……自分が幸せの中にいるということに、気づきもしないなんて愚かな事。
そう思い不毛な自分の樊瑞への恋心を誤魔化そうとした残月だったが、
『おろかな』……。
ふと、何か引っかかるのを感じた。
「……?」
考えをめぐらせて、残月はやはり、ひっかるものを感じた。
なんだ?
あれ? と思った。次の瞬間、残月は、鏡で自分を見ているように、言葉を吐いた自分が自分に向き合ったような気がしたのだ。
先のセリフが向かい合う自分から自分に、発せられる。

――疑いもなく好かれているから安心しきって邪険に
――好意の中にある……自分が幸せの中にいることに気づきもしない
それは……

「…あっ……」
残月は、思わず小さく声を出していて、それに気付いた樊瑞が顔を上げる。
「どうした?」
「あ……いや、なんでもない」
残月は首をふった。「ちょっと思ったことがあっただけ」
ふたたび針治療に戻る。そこへ、
「そういえば」と、樊瑞がつぶやいた。
「聞いた話だとレッドは、どんなに相手と寝ても、口付けだけはもったいぶって誰とも交わさないというが……やはりお前ともそうなのか」
残月の針を打つ手が、ふと止まる。
「え?」
目の前に、口付けをするとき夢に落ちるように瞳を閉じる、レッドの風貌が蜃気楼のように映って……揺らめき消えた。

…………

「お前は……樊瑞と仲が良いな」
いつものように、必然のように身を寄せてきて不満そうにつぶやくレッドに残月は「そうでもないさ」とすぐに答えた。
「樊瑞が好きなのか?」
というのにも「まさか、リーダーとして尊敬しているだけ」と答えた。
「ふうん……」
レッドの仮面の下の表情は見えない。残月の覆面の下も、レッドには見えないだろう。
何かをしばし考えて、それをあきらめるようにしてレッドは、あたりまえのようにくちびるを寄せてくる。
その刹那、夢に落ちるように瞳が閉じられるのをいつものように残月は見てから瞳を閉じた。
誰にも許さないのだと樊瑞が言っていた唇は……甘く柔らかく、あまりに簡単に相手に陶酔を巻き起こすものだった。
残月はしばし、陶酔に身をゆだねてから、今日はなんとなく、その手を伸ばし、レッドの後頭部にそっと添えた。黒髪が柔らかく残月の指に絡みつく。残月は、結合を深めるように、ゆるくレッドを引き寄せた。
一瞬、わずかなレッドの動揺が、身近に感じられた。
そのとき残月は、そういえば恋人を演じていながら、愛していないことをばれないようにこそすれ、自分から何か、愛を伝えるようなことなどいままでなひとつもしなかったことに気付いた。
「ん、っ……」
と、レッドのキスが余計に甘くなったのを、感じた。
残月は少し、どきどきした。
唇を離して見詰め合って、数秒……残月はつぶやく。
「……好きになってくれて、ありがとう」
レッドは、良くは見えないがおそらくすこし驚いてから、目を細めた。
「何を今更」
言って柔らかな黒髪の頭を、コトリと残月の胸に預けた。

END


 
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