| ふういん リョゴヨ。ちょっとだけ裏っぽいけどまだ表で。
そういうの苦手よって方は回避しといたほうが無難かと…。
封じ込められているものとか、隠されているもの。
そういうものはこの世にけっこうあって、それらは隠されていながらも、すこしずつ少しずつ、香るようにその存在をほのめかす。まるで成熟しきった絶品の酒が、瓶の中からでも香って人を酔わせるように。
思えば、ボクはそういう類の香りに当てられてしまっていたのかも。
「あ、ちょ……っと、まって……」
何が起きたのか、分からない、そんなふうなうろたえた表情がリョウを見上げた。
ゴヨウの家。ソファーの上にはゴヨウとリョウの2人。
「きもちいい?」
何の示し合わせか、リョウにとってはうまい具合にことが進んで……。リョウはゴヨウをソファーの上に押し倒し、その上に覆いかぶさっていた。
一緒に食べた食事に、香り付けにとお酒を使って、自分で入れておきながら酒に弱くて酔ってしまう。そんなちょっと抜けているところも魅力的で。リョウにとっては好きで好きでしょうがない人、ゴヨウ。
ゴヨウの周りに女性の気配はない。かといってリョウのように、男しか愛せないという訳でもなかった。
――恋愛とか、そういうの苦手そうだな。本が恋人、みたいな。
リョウは思う。
そういう、ストイックなところがリョウをひきつけていた。いや、それだけではない。ゴヨウの、ストイックでありながら、何かを予感させる、隠された色気のようなものをリョウのするどいカンはわずかに感じとり、彼はどうしようもなくそこに惹かれているのだった。
「あ、あ……なに……?」
ぞく、っとでもいうのか、それともじいん、というのか、そういう、日常ではあまり感じない感覚に浸されて、ゴヨウはつぶやいた。
何だかよくは覚えていないのだが、確か自分は、料理に入れたお酒のせいで酔っ払っていたのだ。
そうだ。リョウと自分の家で夕食を食べていて……。香りつけに少し入れた、お酒。あのアルコールを飛ばしきれてなかったのか。
まだ酔いのさめない、ぐらぐらした頭でゴヨウはぼんやり考えていた。
「あ、…うう……んっ……」
あられもない声が引き出される。
それさえもが遠くの方で聞こえていた。
何だかすごくきもちよかった。なんだろう、自分を翻弄する何か……リョウの手。手のひらが、自分の肌に密着する。それが肌を滑らされる時に起きる、皮膚と、皮膚との摩擦の具合が、滑らかで、程よくて、少し温かくてすごく気持ちいい。
「ん……きもちいい……」
つぶやく声が、外から自分の耳に聞こえてきた。なんて、甘ったるい声で私はつぶやいているのだろう、とゴヨウは頭の隅で思う。
普段はメインで働いている思考が、今は頭の隅でわずかに働くのみ。
酔いのせいだろうか? それともこの快感のせい?
私らしくもない。でも、そんなこと、どうでもいいくらい気持ち良よくて。
あ、眼鏡がずれてきてしまっている……。
まあいいか。まあ、いい、や。
甘い響きの言葉にリョウはぞくりとした。
……酔っているんだ。
乱れてソファーの上に広がる、豊かな藤色の髪。白い肌のその頬だけが、まるで化粧でもしたみたいに美しく朱に染まっていた。
眼鏡が少し、ずれている。
リョウは目が離せなかった。
瞳はぼんやりとうつろに空をさまよう。恍惚とした幸せそうな、それでいて妖艶な美貌がもったいないくらいにさらされていた。
そんな表情で、「気持ちいい」なんていうのだ。自分の愛撫に対して。
理性が壊れる前に、しかし何かの恐怖感が、リョウを襲った。
リョウは、見てはいけないものを見てしまったような気がした。
まるで、パンドラの箱を開けてしまったかのような。
目の前のゴヨウは妖艶すぎた。妖艶……妖しいまでに美しい。
普段はあんなに硬い表情が……低く落ち着いた声が……。
シャツに手を忍ばせて体をなぞり始めたところからしだいにゆるやかにとろけ始める。
とろけてゴヨウが官能的な、妖しく魅惑的すぎる何かに変質していく。
リョウはごくり、とつばを飲みこんだ。
自分の本能が、ここに来てなにか……ブレーキをかけるのを感じた。
甘すぎる水は危険だ、手を引け、と。むしのしらせのような。
だけど。
どうしても、ほしい……。とリョウは思ってよく分からない予感を振り払った。
ほしい。これはせっかくのチャンス。
ゴヨウは酔いのせいか、抵抗もしない。それどころかうっとりとして「きもちいい」とまで言う。こんな状況で、こんなにゴヨウへの想いが募ってしまった自分が、引けるはずはなかった。
たとえ感度のいい自分のカンが、何かの危険を察知していたって……。
その覚悟を決めるようにして強く押し付けられたリョウの唇にゴヨウは喉の奥でくぐもったうめき声を上げる。
自分から仕掛けておきながら、そのキスの柔らかく甘美な感覚にうっとりしてしまっているのはリョウの方だ。
名残惜しくもゴヨウの唇から唇を離して、リョウはゴヨウの顔を覗き込んだ。
綺麗だな……。
突き上げる衝動も抑えこまれて再び思わず見入ってしまう、美貌。普段も、きれいなほうだが、表情のせいなのか、こんなことをしているシチュエーションからくる自分の思い込みなのか、はたまた光の具合か、やたらと妖しく美しい。
眼鏡が少しずれている。……なぜか、そのせいかもしれないと感じた。
いつもは、ずれることもない眼鏡が、今はずれて風貌が違うふうに見える?
その表情を、顔を、もっと見たいと思った。視界をゴヨウの眼鏡がさえぎっている。眼鏡の存在が、やたらと気になる。
だが今は、ゴヨウの表情をさえぎるそれは邪魔でしかない。
リョウは眼鏡に手を伸ばす……
そこで、また。
何かの抵抗が生じた。
今度はさっきの嫌な予感なんてものではなく、明らかに行動自体を引き止める「抵抗」。
なんだ?
なんだっていうんだ。眼鏡をとるくらい。
どうしてもリョウはその眼鏡の下に隠される素顔を見たかった。
リョウは抵抗に抵抗する。
手が眼鏡に触れた。必要以上にひやりとした感覚がするのは、自分自身が熱くなっているからだろうか。指先がフレームの端を捕らえる。なんてことはない。ただの眼鏡だ。少し力が入れられて、指先に眼鏡を外す力が働く。ず…とわずかに手前に眼鏡がずらされる……このまま、はずせばいい。
そこで。
はっ、といきなり正気に戻ったゴヨウの手が眼鏡をつかむリョウの手をぱしっとつかんだ。
「えっ」
夢から覚めた正気のゴヨウの、何かの危険を恐れるような目が、リョウの瞳を捕らえる。
「……やめて」
リョウはゴヨウのその強い瞳に射抜かれて、身動きできなくなってしまった。手をつかまれた意外にも強い力のせいで、リョウの指は無意識にもゴヨウの眼鏡のフレームを放す。
眼鏡は、もとずれていたのがさらに少しずらされただけにとどまった。
しかし、それはなにか、大きな変化におもわれて、リョウはそのときになって自分がとんでもないことをしようとしていたような気がした。
ゴヨウの、リョウの手をつかんでいないほうの手が外されかけた眼鏡をさっと直した。
「……」
はあ、はあ、と肩で息をするゴヨウ。眼鏡を直すと何かの緊張が解けたように力を解き、リョウの手を離して瞳を閉じた。
「はあ……」
一つ大きく息を吐き、息を整える。
「……眼鏡……?」
リョウは呆然としてポツリとつぶやいた。
「眼鏡、何かあるんですか……?」
ゴヨウはまだ息を整えて、浅い呼吸を繰り返す。その合間に、視線をリョウに投げかけた。
指先が無意識に自分の眼鏡のところへ行って、確認するように押さえる。
「……わかりません……。でも、人前で眼鏡は外すなと。強く忠告されています。父に。……私自身も眼鏡を外されることに関してはものすごい抵抗を感じる……こうして酔いもさめるほどに……」
言ってゴヨウは体を起こした。
自分が乱したシャツのせいでゴヨウはいまだやたらと色気を放っている。けれど、さっきまでのリョウに危機感を感じさせたほどの艶っぽさは消えうせ、そこにいるのはいつもの、リョウのよく知っているゴヨウだった。
何故か少し、ほっとする。
ゴヨウはすっかり正気に戻っていて、なにも言わずにシャツの外されたボタンを留め始めた。
「あの、ゴヨウさん」
「はい?」
抑揚のない声で返事をするゴヨウは見るともなくボタンを留める自分の指を眺め、リョウを見もせず。
「……怒ってますか、こんなことしたの」
言われてやっとリョウを見た。
「べつに……怒ってませんよ。」と、いつもの調子で平然と告げる。
「……なんか、気持ちよかったですよ。人にあんなふうに体を触られたのは、初めてで……。本に書いてあった、今まで不可解だった部分が、いくらか理解できそうですよ。ラブシーンとか」
そういってゴヨウは少し笑う。
「……好きです」
笑う横顔に向かって、リョウは思わずつぶやいていた。押し倒しておきながら、一度も告げていなかったセリフ。想いが余って言葉を紡ぎ、飾り気も何もないその言葉が口をついて出る。
笑いをふと止めて、ゴヨウの横顔のまなざしがふわり、空を彷徨った。
「…………そう、ですか」
やさしく瞳を閉じてつぶやく。
いくら黙って待っていてもそれ以上の答えはゴヨウの口からは出ず、その間にゴヨウはシャツのボタンを全て留めてしまう。ソファにかけてあったスーツを着込んだ。
そこでやっとリョウに向かい合って、口を開く。ごめん、と、その口は告げた。
「ごめんなさい。リョウ。……私は……どうしようもなく好きになってしまった人が、いるんです」
「オーバさんですか」
すかさずリョウが出した名に、驚いた表情のゴヨウの頬は見る間に真っ赤に染まっていく。それでリョウには答えも要らなくなってしまった。
予想はしていたけれど、こうも露骨に目の前で綺麗に頬を染められては……。
リョウは視線を落す。
「でも僕はあきらめません……」
強い瞳で床をにらみ、それから視線を上げてゴヨウを見つめた。
「も一度言っときます。ゴヨウさん、ボクはあなたのこと好きです。……すきですよ」
リョウは立ち上がって、ゴヨウに背を向けた。
「……今日はごちそうさま、でした」
それは食事に対しての礼だったのだが、なんだかこの情事に対する一言のようにも取れてしまうことに気付き、リョウははっと恥かしくなる。
「……それじゃ」
ゴヨウを見もせず、玄関を出て行く。
そんなリョウを、ゴヨウはなにも言えずに見送った。
リョウが出て行って、しばらくして、ゴヨウの酔いは本当に冷める。ちょっと前の時間を冷静に見返してみて、ゴヨウは今更頬が熱くなるのを感じた。
そういえば、眼鏡……あれは一体、なんだったのだろう……。
ゴヨウの家を出て、ひとり家路に着きながら、ふとリョウは思った。
きっと、そのことは、オーバも知らない。自分だけが知っている。あの眼鏡はゴヨウの何かを隠して……封印している。
自分のカンが危険と告げるほどの何か……。
一体なんなのだろう。
眼鏡のこと、今日の艶っぽかった表情……
ゴヨウのことばっかり考えながら、恋するリョウは夜道を帰る。
月は消え入りそうな三日月だった。
END
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