| まずい紅茶の先に恋 おためしミクワタ。
「あいにくダイゴはチャンピオンを降りて、どこかへいってしまったんでね」
紅茶を片手にミクリはその湯気をふうっとふいた。
白い湯気は慌てたように揺れて、それもほんの一瞬、また元のように上に向かって立ち上る。
「べつにダイゴを尋ねてきたわけじゃない」
と、ワタルは紅茶に角砂糖を3つ、4つ、5つと入れてスプーンでかき回した。見かけによらず甘党だな…と横目で見てミクリは思う。
「じゃあ、私に会いにきたのか……」
「まあそうかな。チャンピオンならだれでもいいんだ」
ワタルが甘い紅茶をこくん、と飲む。どんな顔してその紅茶を飲むのだろうと思ってみていると、ワタルは露骨に顔をしかめて「入れすぎた」と言ったのでミクリは思わず笑った。
ホウエンのリーグ、チャンピオンルームにワタルが来て、ちょっと話があるといった。それはほんの少し前のこと。
どうせ今日の挑戦者ももう来ないだろうし、それなら、とミクリはルネの自分の家にワタルを招いた。
セキエイのチャンピオンとして話には聞いていたワタルだったが、ミクリは実際に会うのは初めてだった。ダイゴとは親友らしい。
「ダイゴでも、そうじゃなくても、誰でもよかったんだ。……同じ、チャンピオンという立場のヤツと、ちょっと話がしたくて」
「ふうん……なにか、仕事上の悩みとか、そういうこと?」
聞くとワタルは「そういうことになるのかな……」と独り言のようにつぶやいて、近くのミルクピッチャーを取った。
甘すぎた紅茶を薄めようと多めにミルクを入れる。
それを飲んでまた顔をしかめた。「ぬるい……」
何やってんだ、といってミクリはまた笑う。この男、結構面白いのかもしれないな、と思って。
ミクリはワタルの手からカップを奪って、ちょっと飲んだ。ミルクで薄めてなお、甘ったるく、生ぬるく。そして忘れたころに紅茶が香りを主張してくる。これはまた新感覚というか。なんともひどい具合だ。
「……これはもう、紅茶じゃない。入れなおしてやるからまってて」
「いやいい」とワタルはその申し出を断って、ミクリから新感覚ミルクティーを取り返した。
「そんなことより、そう、チャンピオンの話」
そんなことだと、とミクリは思う。そんなまずい紅茶片手に話が進むものか。せっかくおいしい紅茶を入れたのにそのおいしさも知ってくれずにこのまま行くのもいやな気がした。……が、そんな文句を押し付けるのも子供っぽいか、と何とか妥協する。
「……で?」
まずいミルクティーを飲みながら、ワタルが話し始めるそのことは。
チャンピオンという立場の、あまりに孤独で、むなしくて、世間から隔離されているということ。自分はそれに最近気付いてしまって、気付くとなんだかいてもたってもいられなくなってしまったということだった。
その立場は、ポケモンバトルの最高峰。だけど頂点に上はないし、そこに立ってはひたすら下ばかり見るしかない。そしてはっと気付けば自分はバトルのことしか知らない。
そんなのを思うとほんとにどうしようもなくなってしまう、とワタルは言った。
そしてお前はそんなことは思わないか、と聞いてきた。
「べつに……」
「オレがおかしいんだろうか。わがままなのかな」
「うーん……」
ミクリはうなった。考えたことがなかったわけではない。でも、そんなに気に病むほどのことでもなかった。
(――気がつくとバトルのことしか知らない……ねえ )
紅茶にはだいたいいくつぐらい砂糖を入れたらいいのか、そんなことも知らない。
これはどこかで見たことがあるパターン。どこかで、というよりすぐ近くで見てきたじゃないか。ダイゴと同じだ。
「わがままというよりね、バトルの頂点に立って、悩むくらいの余裕が出来たんなら、何か別のこと、やってみればいいんじゃないの。片手間に」
「別のことって……なんだよ。どこから始めたらいい」
「…………」
何だこの子供は。セキエイではこんなのがチャンピオンなのか。と考えて、ホウエンでもついこないだまでそうたいして違いがない子供な男がチャンピオンをやっていたことをミクリは思い出す。
そしてそこで、ついでにミクリは、はっと気付いた。
――もしかして、ダイゴもそれで、出て行ったのか……。
チャンピオンと言う立場に疑問を持って、物足りなくって、何かを探しに……?
立場を預けて何も言わずにどこかへ行った。
それはたぶん、今のワタルと同じだったのかもしれない。そういうことか。
ミクリは一人笑った。目の前のワタルが不思議そうにする。
「なに笑ってんだ」
「いや……なんでもない」
ミクリはおいしい自分の紅茶を一口、飲んでそのわずかな渋さでワタルには不可解であろう笑いをうまく消した。そしてまずい紅茶を飲むワタルをちょっと見て、
「君はさ……恋したことはある?」
聞く相手によっては失礼にもなりそうな質問をした。だが、そういう面に関してはミクリは見抜く力はあると自負している。ワタルははきっとマトモな恋も知らないだろう。
「バカにするな。恋くらい、したことはある」
「でもそれは、忘れるくらい昔の、子供のときの恋だろう」
「何で分かるんだよ」
その言葉に、ミクリはふふ、と笑った。
「チャンピオンの立場に物足りなさを感じたのなら……私からの提案は、ワタル、恋でもしてみなよ」
「恋を……?」
この場面で出てくるとは思いつきももしなかったミクリの結論に、ワタルが瞼をしばたたかせた。
「恋、……そうすれば何かが満たされる、とでも?」
「そう。恋くらいなら、仕事の片手間にすることができる。そしてそれを中心に、たぶんいろいろ知っていくことが出来ると思うよ。君が知らなくて、実はおもしろい、バトル以外の世界のこと……恋を、しなよワタル」
「そう簡単に言うな。恋なんて、簡単にできるものじゃないだろ? だいたい、恋といって思いつく相手がいない」
「じゃあ……手っ取り早く、私と恋をしようよ」
「え……?」
ミクリはワタルの瞳を覗き込んだ。
――悪くない。この、世間知らずで変に純粋な男。この短い時間で、私はあっというまに気に入ってしまった――
見つめると、ワタルの瞳が動揺の色を宿して揺れた。それもまた、どうしようもなくいとおしく感じる。
ミクリはついとワタルに手を伸ばし、カップを持って中の紅茶を飲むわけでもなく中途半端な高さに停止したワタルの手に手を重ねた。
まずい紅茶が入ったカップを机におかせ、それから自由になったワタルの手を引き寄せて自分の口元へ。指先にちょっと口付けてみせる。
わざわざ顔を見なくても指先がわずかに震えたのでワタルの動揺の具合くらいは分かった。
視線を上げてみたワタルは予想どおり、頬を赤くして驚いたような瞳でこちらを見ている。
「私は、最近暇していたところ。……もし、セキエイのチャンピオンとホウエンのチャンピオンが恋中だなんて、そんなことがあったら、ネタとしては、かなり面白いとおもわない?」
「――面白い、だって?」
「そう。面白くて、きっと、楽しいよ。……どう? こんな恋」
そんなことで恋を始めていいものなのか、とワタルはミクリのまなざしを見返す。ミクリの青の瞳は、いいんだよ、とワタルを誘って、不思議にゆらりと揺れてきらめいた。
ふと、ワタルはその青がほしくなる。
そうすると、とたんに先ほど口付けられた手、指先が、いまさらじわんと痺れだした。
――恋だって……?
なんだかフザケたような話だけど。
このどうしようもない自分の状況を少しでも改善する手掛りが恋という形で目の前で提供されているのなら……それも、いいのかもしれない。
……と、自分の中に響いた声は言い訳。それさえあればいい。
そしてワタルはうなずくのだった。
「たしかに、なんだか面白そうだな。いいだろうミクリ。俺と恋をしよう」
そういうわけでホウエンとセキエイのチャンピオンは現在付き合っている。
END
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