| ミクリは水の中 ダイミク。なんか暗い。
水の中にいると、落ち着く。
肌を全て水が覆ってしまえば、ほかのものの触れるのを考えなくて済むから……。
水の感覚。
空気の中で触れる水は、異質なもの、乾燥した肌に与えられるそれは違和感で不快なものだけど、こうして全てを水に包まれてしまえば。
身をゆだねてしまえば……楽になる。
そういうことなんだ。中途半端なものはわずらわしい。それに身をゆだねていいのか、ダメなのか、心が迷うから、煩わしい……。
目をつぶって、水にからだが溶けていくようになるのを感じて私はほっとしていた。
少し前のこと。真夜中、満月の光が明るいルネジムの前で、物思いに耽った私はぼんやりとこの水の中を見ていた。
何となく水の感触を恋しく思い水面に手をさしのばす。少し冷たい水が指先を濡らし、やがて手首まで濡らした。
そこまで浸して手を引き上げると、空気中での水はとたんに煩わしくなる。その感触がいやで、濡れた手を再び水の中に戻した。
妙な安心感が戻ってくるのを感じる。
安心する……水の感覚を求めて。
手首から、腕、反対の手もつけて、それぞれ二の腕まで浸る……。
そのまま。
ざぷん……
前のめりに私は水の中に身を投じていた。
私の領分はたぶん、水なのだとおもう。普段空気の中で暮らしているときには忘れがちだけど。体重の束縛を解かれ、肌の外部からの刺激の恐怖を免れ、私は水に自分が溶けていくような感じになってほっとする。戻ってきたような、感覚になる。
満月が、水の中からゆがんでぼんやりと見えた。
……ここがわたしの居場所。ずっといられたらいいいのに。
そう思っているところに、くん、と、自分のうちに苦しさがこみ上げてきたのを感じて悔しくなった。
息が、苦しい。
息が続かない……酸素を求めてしまう体。
私はこの水の中に多量に溶け込む酸素を、集めることができない。
低機能なこの肺を呪った。進化なんてしたくなかった。
どうしてサカナはこんなに落ち着く水を捨て、地上に這い上がっていったんだろう。あんなところ、行ってどうしようと思ったんだろう。
私は水に焦がれながら、地上に生きて、水の中で生きることはできない。
地上でわずかな何かの違和感を持ちながら暮らして、水に入ればまた違和感のために居続ける事ができず。
どちらでも落ち着けずに、疲れていく。
苦しさが増してきた。……でも、水上へ上がる気にはなれなかった。
苦しさは、一箇所の感覚だ。
その場所をしっかりと把握して、その後でそこを意識しないようにすれば……。
私は今まで上りあがってきた苦しさの位置を見極め、そこを無視することにした。
酸素を求める煩わしい苦しさを忘れ、ひたすら水の中に漂う感覚に酔う。
肺が酸素を求める苦しさに逆らって酸素を取り入れないということはつまり……。
分かっているけど、かんがえるのも、面倒くさい。
今は水の中にいたい。ずっといたい。
いたい……どうか。
そのときいきなり、腕に水以外の強い感覚がして、はっと誰かに腕をつかまれたのだと気付く。
そのとたん、集中力が乱れて忘れかけていた酸素を求める苦しさを思い出した。
あ、くるしい。
……酸素! 水上へ上がらなくては。
そう思うまもなく私の手をつかんだそれはぐん、と水中の私を上へと引っ張り……。
気がつくと私は、水辺へ引き上げられていた。
「バカ何やってんだ」
「……ダイゴか」
げほ、げほ、といくらか飲み込んでしまった水を吐き、大きく何度も息を吸う、呼吸を繰り返す岸辺で、声が掛けられて初めて今誰かに引き上げられた事を思い出し、そして同時にそれがよく知った人物の声だと気付く。
上げた視線に映るのは、間違いもない、ダイゴ。彼独特の髪型も、彼にしか似合わないようなふざけた模様の入ったスーツも、しかし今は水に濡れてよれて、別人みたいだ。
「君に会うためにルネにきたら、上空からジムの前で君が水にもぐるのが見えた。ここに降り立ってきて、しばらくすれば上がってくるだろうと待っていたらちっとも上がってきやしない……何やってんだ」
私はつい今まで潜っていたルネジムの前のきれいな水をたたえる池――いや、実際には海の一部――を見つめた。
「……わずかな水の感覚が煩わしくて、それなら全て、水に浸かってしまおうと思って……そうしてもぐったら地上に上がりたくなくなった」
言ってから見たダイゴがあからさまに反応に困ってるのが分かった。
「……ごめん、ええと……ちょっと疲れてぼんやりしてて。外に出たらさっぱりしたくてあまり考えもなしに水に飛び込んだんだ。水の感覚が気持ちよくってそのまま水の中でぼんやりしていた……引き上げてくれてありがとう。このままじゃ死ぬところだったよ」
冗談めかして言った私に、ダイゴはなにか言おうとして、結局何もいわなかった。
代わりにハア、とため息をついて、座り込んだまま私を抱きしめた。
びしょり、と水に濡れた衣服同士が密着する音がして、そこで私は今は地上にいて、さっきあんなに自分が心地いい感触だと思った水を、気持ち悪いと思っていることに気付いた。
「どうしたんだよ、ミクリ……」
優しく聞かれた声も、抱きしめられる感触も……それはすべて、この地上でのまとわりつく水と同じだ、と思った。
――煩わしいんだよ。完全な優しさなんてくれないくせに、君の全て私にくれるわけじゃないくせに、そうやって、本来持つお人よしの心で面倒見てくれるこの行為が……。
身をゆだねていいのかだめなのか、分からない。空気中にいて少しだけ与えられる水の感触ように、この優しさは落ち着かない、不快でよけいに煩わしい。
「ちょっと情緒不安定になってただけ」
「そういうの、僕に話してよ。一人で悩んだりするなよ、親友だろう」
「そうだな……今度何かあった時はね、君に話すよ」
濡れた服を、どうしようか。
この先ダイゴへの対応はどうしようか。
ああ、わずらわしい。
平然を保って、それが痛々しくなんて決して見えないようにしなくてはいけない。感謝の言葉を言って、ホントになんでもなかったように見える、うまい演技をして……。
なんて気力を使うこと。
疲れる。面倒くさい。
あのまま水に沈んでしまえば、何もなかったのに。……沈まなくてもダイゴが来さえしなければ、せめて平然とした演技なんて労力を使い果たすことしなくてよかったのに。
よかったのに。
でも……来てしまった。しかたないこと。がんばらなくては。
「服を、乾かさないとな……」
そのセリフをつぶやいて、私はなにかふと思いついたように少し動きを止める。それから、無防備な表情でダイゴを見る。
「……ありがとう、ダイゴ」
君がこうして来てくれてほっとしたよ、みたいな弱い笑顔を見せて、自分からも、ぎゅ、とダイゴを抱きしめた。
それから離して、ダイゴの手も不自然にならないように離した。
そうしてルネジムの方へ向かおうと立ち上がり、一歩歩き出すと、水を吸った服が重く体にまとわりついた。
きもちわるい……。
地上にいて重くまとわりつく水。
それからダイゴの親切さ。
気持ち悪くてこみ上げてくる吐き気を何とか抑えた。
END
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