熱に浮かされ

……て書きました、という話。
38度の熱が書き出す、アダンが風邪ひきのアダミク。


 

「ししょう、だ、大丈夫ですか!」
行儀悪くも慌てていて、家の廊下を走り、駆け込むように入った師匠の寝室で、みとめた師匠はベッドの中。取り乱してる私を見て、苦笑いした。
「……ミクリ。何をそんなに慌てて」
笑うその表情は、本当に苦笑い。いつもの元気がなくって、心臓がきゅうっといたくなる。
「師匠が、風邪で寝込んでいると、ルネジムのトレーナーの女の子に聞いたものですから……」
今日たまたま寄ったルネジムは休みになっていた、どうしたことだろうと知り合いのトレーナーに話を聞いてみたところジムリーダーが風邪で寝込んでいると。心配なのでできれば様子を見てきてほしいということだった。
それで慌てて私は師匠の家へと来たのだった。

私はベッドの縁まで行って、ぐったりしている師匠を目の当たりにした。
普段全て後ろに撫で付けている髪はいくらか乱れて額にかかる。頬がハタから観て熱の様子が分かるくらい赤くなっていた。そんなこと考えている場合じゃないのだけど、そんな様子がひどく色っぽい……いや、ほんとにそんなこと考えてる場合じゃない。
ちょっと見ただけで、かなり重症だと分かる。急に不安になった。
「早く……連絡してくださればよかったのに」
手をのばし、額にかざしながら言う。指先は予想していたよりもいくらもよけいに高い熱を伝えた「熱い……」
「こらこら、あんまり近づくな。風邪がうつってしまう」
「そういって世話しようとしたトレーナーたちも、誰もかも、遠ざけたそうですね。こんな熱が高いのに、大したことないからと強気でいつもの優雅な笑顔みせて、安心させて、一人で? まったく、もう……」
まったく、もう……といいながら、寝ている師匠の頭を思わず抱きしめた。
「やっぱり、こんなに熱高いじゃないですか」
触れた頬から、抱いた首から、尋常じゃない熱さが伝わって、不安感を募らせる。
かなり、熱い。私は体温が低い方だけれども、これはかなりの高温だ。
――どうしてこう、こんなに、こんなに、私を心配させるんですか。
抱いた首も、頬も、熱くてその熱さが私に移っても、少しも引きやしない。
「ミクリ……やめなさい。こんなときに、風邪がうつるし、心拍数が、上がって苦しい」
弱々しくだけれどちゃんと笑って言う師匠を放した。
「おせわ、しにきましたよ」
「……知ったら絶対にそういうと思って、知らせないようにと口止めしたのに。誰だ、しゃべったのは」
「みんな、師匠の事が心配なんですよ。私も。……とりあえず、これ」
鞄から取り出した体温計を、まだ何か言おうとする師匠の口に押し込んだ。
「……体温はさっき測った。38度だよ」
「多分、また上がってますよ。ずいぶん、熱い」
ふたたび額に手を当てた。
師匠は、何か言おうとして、ふと諦めたようにやめた。
ぼんやりうつろにさまよわせた熱に潤む瞳がゆっくり閉じられる。
いままで張り詰めていた気が、そこでゆるやかに解かれる気配を感じた。
「……冷たくて、きもちいい……」
さっきよりいくらも小さく弱い声でつぶやくと、表情が少し、苦しそうになった。……多分、今苦しくなったのではなくて、今まで無理して私に見せる表情を作っていた無駄な力が解かれた。
きっと無意識にやってらしたんだ。心配かけないようにと……そうおもうとたまらなくつらくなった。
ああ、どうしよう、どうしよう。体温計の細いガラス管の中を伸び上がる水銀を見つめながら、不安は募っていく。38度……まだまだ水銀は上がる。
額の手をまだ冷たい反対の手に変え時計を見た。……3分。体温計を取って、温度を読む。
「39度5分……ひどい。お医者様を。……どうしてこんなになるまで……」
と、ついついいいたくなってしまう文句を抑えて、私はとりあえず医者に連絡を入れた。
医者は少し遅くなるそうだ。……こんな時に。でも、このごろあちこちでインフルエンザが流行っているというから、医者も医者でてんてこ舞いなのに違いない。
しかたない。それまではなんとか熱を抑えて……。
私はタオルやら氷やらを急いで探してきて、とりあえずの看病に取り掛かった。


「昨日までは、ほんとに熱も大したことなくて、誰の手を借りずとも寝てれば治るという感じだったんだが、今日になって熱が上がりだしてね……こんな有様に。頭もぼんやりしてしまって、医者を呼ぶなんて思いつきもしなかった」
冷やして額にのせたタオルに気持ちよさそうに目を閉じて、熱を吐き出すような苦しそうなため息をひとつついて言う。
やっと一息ついたというか。頭を冷やして掛け布団を増やして、ほてりも、寒気もすこしはおさまって落ち着いたみたいだ。よかった。
「私を呼ぶことぐらい、思いついてくださいよ」
「それは、まあ、一番に思いついたが……」
熱で潤んだ瞳が私を見上げた。こんな時なのに、じっとわたしを見つめる瞳に思わずどきっとしてしまう。
「熱が上がってつらくなるほどに、こんなのをミクリにうつすわけにはいかないな、とね。なのに君ときたらどこかから聞きつけて来てしまって、まったくもう……」
「こんな時ぐらい……」
タオルを冷やして水に浸かって、より冷えた私の手を、師匠の熱い頬にあてた。
「そんなふうに強がってないで、つらくてミクリに会いたかったって、言ってくださいよ……」
師匠はいつもよりは幾分も力なく、けれど熱のせいでやたらと色っぽく笑った。
「ふ、ふ。さきにいうな。今言おうとしたところだよ……君の言うとおり。本音を言えば、つらい感覚の片隅で、常に君の顔が見たかった。こんなときだからこそ会いたかった……」
私の手の上から師匠自身の手を重ねられた。
「来てくれて、ありがとう。ミクリ、……愛しているよ……」
どこか弱々しい、かすれた声でささやかれ、私は頬が熱くなる。
何度聞いても、師匠がささやく「愛してる」は、見事に私をときめかせてしまう。
それも今回は、なんだか余裕もなく弱くて、心の底から言われた言葉のような……。
少しくらくらしながら、私はなんとかいつもの微笑を師匠に向けた。
「私もです。あいしてますよ……つらいときには呼んで下さい。いつだってすぐに駆けつけます」
師匠の反対の頬にも冷たい手をさし伸ばして、心持ち、私のほうを向かせて。
少しずれたタオルの隙から額に冷たいキスを……。
「冷たい……」
師匠が笑う。
「気持ち、いいでしょう? それではきっともっと気持ちいい、熱い唇にも……んー」
しかしそれは慌てて口を覆った師匠の手に阻まれてしまった。
「さすがにそれは。風邪がうつる」
「うつして治してくださいよ。そして今度は師匠がわたしの看病してください」
力ない師匠の手をそっと外して。熱であつい唇に、癒しの冷たい口付けを……と唇を寄せたところで。
ピンポーン、と軽やかに響くチャイムの音。
「アダンさーん? 連絡受けて駆けつけましたー」
「ああもう、こんないいところで……」
「ミクリ、彼を案内してきてくれ」
笑って言う師匠の熱い唇に、掠め取るようにキスをして、私はかがんでいた体を起こし、ドアの方へ向かった。
ああ……こんなところで邪魔されるなら医者なんて呼ばなきゃよかった!
と、思いつつも、これでなんとか大丈夫だ、という安心感もあいまってフクザツな表情で彼を迎える。
医者はさっと診察を済まし、予想していた通り「インフルエンザ」の病名を下して、いくらかの薬を置いていった。


風邪の薬の副作用か、少しして眠りに落ちた師匠のベッドの横で、私は多少楽そうになったその表情を覗き込む。
よかった。多分これで睡眠をとれば大丈夫だ。
心から、ほっとした。
眠ったら帰りなさいといわれたけど、しばらくはここにいよう。今は何も出来ないけれど。
一人でぼんやりしていると、さっき、「会いたかった」と言ったときの師匠の表情を思い出した。
師匠は普段、あまり本音を見せてくれない。
何もかもが余裕の上の師匠によって、あまりに上手く進められていく恋に私はたまに、不安になる。
私はどうしようもなく本気で恋をしているけど、師匠にとってこの恋は、一つの遊びに過ぎないんじゃないのか、とか。
だから、弱ったときの、さっきみたいな言葉についほっとしてしまう。
余裕を失った状態での会いたかった、に……。

ぼんやり眠る師匠の顔を眺めた。
乱れて額にかかる髪とまだ上気している頬。それとさっきの熱っぽく潤んだ瞳……。
思い出していまさらため息ついてしまう。
色っぽかった……。
……私も、もっとつりあうくらいに美しさも色気も磨かなくては。
そんなことを思いながらすっかり暗くなった窓の外眺めて、そこに映る自分を見て。
色っぽくなく乱れてしまっている前髪のあたりをなおした。
それから立ち上がって私はカーテンを閉めた。

END


水銀式の古風な体温計が好き。

 

戻る

inserted by FC2 system