| 扉を閉めて オーバ×ゴヨウ。相変わらず暇な2人がぐだぐだと。
「……ひまだな」
またその一言か、とゴヨウは思った。
リーグの四天王の休憩室で、今日になってオーバがつぶやく5回目のセリフ。その回数を告げると「そんなの数えてやがったのか」と頬杖ついたままのオーバは面白くもなさそうに笑って、次には「お前もたいがいひまだよな」とあきれて返された。
休憩室にはふたり、ゴヨウとオーバだけがいて、ぬるい気温の午後の二時。
いつもはこの時間までに少なくとも2〜3回はオーバのところまで回ってくる挑戦者が、今日は一人も来なくてオーバは時間をもてあます。
ゴヨウはいつものように本を読んでいるし、オーバはかまってくれる相手もいなくてたいくつしている。
「ゴヨウ……なんでおれほっとかれてんだよ」
「?」
本から視線を上げて、ゴヨウがオーバを見た。
「2人っきりで、恋人が目の前にいるのに話の一つもせずに読書ってありか」
なんだ、そんなこと。
「ありでしょう。私は2人でいるときも何か話さなきゃ、と神経使わず本読んでいられる、あなたとのこういう関係が好きなんです」
「『こういう関係』が、好きなんだろ、どうせ。俺が好きなんじゃなくて」
「なに、いじけてるんですか。かまってほしいならちゃんとそう言えばいいのに」
不満そうな目でゴヨウを見た後、オーバはすねたようにふいっと視線を逸らした。子供のような態度にゴヨウは思わず笑って、でもオーバをかまいはせずに自然に読書に戻ってしまう。
――なんて男だ。
自分の周りをつきまとってきゃんきゃんしゃべり続ける女も煩わしいが、こうもそっけない男がパートナーなのも淋しい。
しかたない。オーバは今は、それでもゴヨウがいいのだ。
本の世界に浸かっていたゴヨウは、視覚以外の感覚の変化を感じた。革張りのソファーがみし、といって右側で少し沈む。見るとすぐ隣にオーバが座ってきていたのだった。
「こんなひまではたまらない。かまってくれよ、ゴヨウ」
言ったとおりに自分で「かまって」といってくるほどに暇だったのか、とゴヨウはおもってパタンと本を閉じ、オーバに向き合った。
「いいですけど、かまうったってなにするんですか」
「そうだな。どうせだれもこねえし……」
と、ちらっとオーバは部屋の入り口のほうを見た。
開いた戸のむこう、人の来る気配など微塵もない。
それからオーバはゴヨウに視線を移した。その瞳にわずかに色気が宿る。
「キスでもしようぜ」
「……はっ?」
驚いたゴヨウが頓狂な声を出す。
「……仕事中ですよ?」
「ばれなきゃいいだろ」
「急に誰か入ってきたらどうするんですか。関係ばれたらやばいでしょう?」
オーバはもういちど入り口の方を見た。そこは今、扉は開いたままになっている。
「じゃあ扉を閉めればいいな」
オーバが立ち上がって入り口に向かい、ぱたんと戸を閉めた。
とたん、空気の流れがぴたりと止まる。部屋がこの世のどこからも遮断されたような気がした。
オーバとこの部屋にふたりきり。
いまさらそんなことを意識して、ゴヨウは少しだけ心拍数が上がったのを感じた。
「これでいいだろ?」
振り返って、オーバが聞く。ゴヨウはちょっと考えてから、首を縦にふった。
「ええ。……いいですよ」
オーバがソファーの方に戻ってきて、立ったまま、キスをするためすこし腰をかがめた。ゴヨウはソファーに座ったまま。
そういえば、最近オーバとキスもしていなかったな……とゴヨウは思い出す。
まともに触れあっていないし、視線を合わせることすらまれになっている。
とはいってもそんなの、最近に限ったことじゃない。最初っからそうなのだった。
ゴヨウは本を読むことがこの世で一番夢中になることだから、読書をし始めると、恋なんてあっというまに忘れてしまう。
本の次に感心のあるのは確実にオーバのことだったが、オーバと、読書の間にはどうやら越えられない壁のようなものがあるようだった。
それでもこうして本を閉じて向き合えば、すぐに恋の感覚を思い出してゴヨウはときめく。
オーバとのキスを望んで心が高鳴る。
ゴヨウはオーバにあわせて心もち顔を上げた。オーバがそのきれいな鋭角を描く顎をついっと取って支え、自分の唇を寄せる。ゴヨウが軽く目を閉じる……。
あまりにひさしぶりなキスになるな、とオーバが思ったそのとき。
「あ、まってください」
と、お互いの体温を感じるほどの距離、くちびるが触れ合うまであと1センチというところでゴヨウがぱちりと目を開き、慌ててオーバを押し戻した。
「なんだよ?」
顔を離して見ると、ゴヨウは眼鏡のむこうで聡い瞳をしている。何か考える時の瞳。とてもじゃないがこれからキスをするって時の表情ではなかった。頬だけは今の短時間の間に血が上ったためかほのかに朱に染まってはいるが。
「扉を閉めたら誰かがこの部屋に来るのが分からないですよ」
「分からないって……だからってじゃあ開けっ放しだったらそれこそ見え見えじゃないか」
「そうですけど」
といって、ゴヨウはとびらのほうを見やる。
「例えば私たちと入ってくる人物、お互い心の準備もない状態で扉お開けたらいきなりキスシーン、ってショックでしょう? 考えてもみてくださいよ。私たちとしても、キスした状態のまま、いきなり扉が開くのの、どんなにびっくりすることか。それだったらまだ、相手からみたら遠くからちらっと見えて、あ、なんかそんなような雰囲気……ああ、やっぱりそうだったか、のほうがショックが軽い。私たちだって」
「それってどっちにしろ見つかってんじゃねーか」
オーバが呆れたように言い、ゴヨウがその一言ではっとして、苦笑いした。
「そう……ですよね。やっぱりこんなとこでのキスはダメ。リスクが高すぎる」
そんなこといわれたって……。
ゴヨウの方は諦めがつくにせよ、オーバのほうはもうその気になってしまっているのだった。
あんまりいい雰囲気にならないゴヨウとの、ひさしぶりのキス。もう唇はゴヨウのくちびるの感蝕を思い出し、求めてしまってどうしようもない。
このまま引き下がるなんてとてもじゃないができない。
オーバはなんとかならないものかと考えつつ扉の方をにらんだ。
すぐにはっとして「ちょいまて」とつぶやきつつ扉のほうへ戻る。かがんで取っ手のところを見た。
「お、やっぱり。……これでいいんじゃないか?」
と、オーバがソファーのゴヨウを振り返り、取っ手の下あたりを指差した。
真鍮の取っ手、その下には、ほんの今まで気付かなかったのだが、小さなつまみがあり、それはどうやらこの扉の鍵のようだった。
この部屋は、鍵が掛かけられる。
「ほら、カギをかければ」
ガチャン、とオーバが鍵のつまみをひねり、取っ手をがちゃがちゃ、と鳴らして鍵の掛かることを確かめた。
「誰か来ても大丈夫だろ」
「……鍵なんてついてたんですか」
ゴヨウはちょっと考えて
「まあガギ閉めていれば人は入ってこられないですよね」
とうなずいた。
オーバが「よし」とつぶやいて、ソファーに戻る。
それからオーバがソファーのゴヨウのとなりに乗りかかって、ゴヨウに向かい合った。こんどこそ。
ゴヨウが今まで持っていた本を、邪魔と判断して机の上に置く。顔を上げると至近距離でオーバと視線が交わった。そのとたん、この室内の温度が確実に0.1度、上昇したのをゴヨウは感じた。オーバの片手がゴヨウの頬に添えられる。
人差し指が耳に触れて、小指があごのラインに掛かった。大きくてごつい手が、優しい。ゴヨウは心持ち上を向いて、そっと目を閉じた。
オーバが角度をつけて唇を寄せる……こんどこそ、ちゃんと、キス。
――と思ったところに、しかし、あとちょっと、というところでゴヨウの目はふたたびぱちり、と開いて「あ、だめだ」とオーバを押し戻すのだった。
「なんだよ……」
またもやおあずけくらってオーバが露骨に不満の表情でゴヨウを見る。
ゴヨウはその視線をするりとかわし、考える仕草、腕組みをした。
「やっぱりこれじゃだめですよ。鍵をかけていては、いかにも中で何かしていると言っているようなものじゃないですか。鍵閉めなきゃいけない後ろめたようないことしてるっていう……」
「だれかきたら開けてから何か言い訳を言えばいいじゃないか」
「その言い訳は? きっといざとなったら慌ててマトモな言い訳も思いつきませんよ。なにか、考えておかなくては」
オーバがむすっとしつつも言ってることは正しいので従ってうなづく。
「じゃー考えようぜ。えーと……?」
「とはいっても、わざわざ鍵かけていなきゃいけないような用事もそうそうあるもんじゃないですよねえ」
「……だな」
2人して腕組みして考えるが、なかなか思いつかなかった。
――まったくキスひとつが何でこんなにまわりくどい。もしかして、さっさとしてしまえばいいだけのことじゃないのか……?
オーバがそんなこと思ったときだった。
ふとゴヨウの目が机の上、さっきまで自分が読んでいた本をとらえて「あ……これだ」とつぶやく。
「鍵がかかった……部屋、密室!」
「あん?」
ゴヨウは本をとってパラパラやる。「これですよ。推理小説」
わけも分からず首をかしげて本を見るオーバに、ゴヨウは説明する。
「私が読んでいた推理小説に密室トリックが出てきて、それが実際できるものかどうかと検証していることにしましょう。鍵が掛かった丁度これくらいの広さの部屋で、死体はソファーの上で死んでいた、ってことで。どうですか? オーケー?」
その言葉を聞いて、こくん、とオーバが子供のようにうなづいた。
「よっしゃ。オーケーだぜ。これで抜かりはないな」
「ええ」
「そんじゃ遠慮なく」
と、オーバはゴヨウの肩をつかむとぐい、と力を入れていきなりゴヨウをソファーに押し倒した。
「えっ……」
思いもしない行動にゴヨウが驚きつつあっけなく倒される。
「なにするんですか……?」
「こんだけお預けくらって、こっちはなんかもう限界だ。キスだけじゃ足りねえぜ」
「たりない、って、ちょっとオーバ。ここどこだと思ってるんですか。さすがにそれは……」
「嫌か?」
卑怯なこと。オーバはここで普段はちょっと聞けないような低くてセクシーな声音を使ってつぶやき、そして恋人以外には決して見せない魅惑的かつ真摯な色目でまっすぐゴヨウを覗き込んできた。ゴヨウがそれに弱いのを、知っててやっているのだ。
ゴヨウは息を呑む。この瞳に捕らえられてはどうしようもない。
「いやじゃ、ないです………」
その言葉に満足してオーバはにっと笑った。
「なあに、お前が声出さなきゃいい、それだけのことさ」
そんなこと、できるんだろうか……と頭の端で考えつつ、ゴヨウは「そうですね」と小さく答えて眼鏡をはずす。はずした眼鏡と持っていた本を、手を伸ばして近くの机に置いた。
こんな体勢で、そらすことの出来ない視線がオーバと絡み合って、心地よく、高鳴る鼓動。どうして自分は本を読み始めると、こんなときめくオーバとの恋を忘れてしまうんだろう、とゴヨウは思った。……それはまあ自分がどうしようもなく本好きなせいだが。
「じゃ、まずはキスから……」
などと言い訳のようにつぶやいてオーバが唇を落とす。今日三度目、ゴヨウは瞳を閉じた。
近くに感じる、オーバの熱。近づく肌……感覚をとろけさせるようなオーバの巧いキスが、自分に久しぶりに本の事なんて忘れさせるかな……とゴヨウが思ったキスの寸前、そのとき。
ガチャガチャガチャ!
「あれ、カギが?……オーバ? いるんですかー?」
あまりに無神経にこの雰囲気を解除する音が迷い込んではっと2人を引き離した。
オーバがとっさに身を引く。「リョウだ」とつぶやいてゴヨウを開放した。
「……ち。なんとなく予感はしたが、いいところで邪魔しやがって!」
そういって身を起こしたオーバがドアへ向かう。
がちゃりとあいたドアの先にはやはり、リョウ。
奥のソファーの上にゆっくりと起き上がるゴヨウを見てこの部屋が2人っきりでカギがかけられていたことを把握し、リョウは疑いの目をオーバに向けた。
「……何やってたんですか? わざわざカギなんて掛けて」
――きたな。
望んでもいなかった事態への完璧に練られた対策にオーバは平然と、そしてどこかうんざりと答える。
「ゴヨウの読んでた推理小説の、密室のトリックの解明だ」
と、あまりにつまらなそうに告げた返答のそっけなくも早いことと、オーバのいかにもつまらなそうな、ゴヨウの趣味につき合わされてる(――とリョウには取れた)といった表情のせいでリョウは変な勘ぐりはせず、素直にオーバに同情した。
「大変ですね……でも、そんなことやってる場合じゃない、あらたな挑戦者がキクノさんを倒してオーバさんとこまで上りあがって来てます。すぐにバトルの準備にかかってください」
そういって、用件は伝えた、ほかに用はないとばかりにリョウはきびすを返し、自分の持ち場へ帰って行った。
リョウが去って行った扉を前に、オーバがまた「ちっ」と舌打ちをする。
「上手い具合に邪魔が入るもんだぜ」
背中でふふ、と笑う声がした。
「ほら、やっぱり対策を練っていてよかったでしょう」と、ゴヨウの言うところ、ソファーのところまで一度戻って、オーバは前フリもなしにゴヨウの唇にぐい、とキスをした。
簡単なキス、すぐに離される。
「最初からこうしてりゃよかったんだ。変に慎重になるからおあずけ食らう」と文句を言いつつ「じゃー、いってくるぜ、」とオーバはきびすを返し、この部屋をでていった。挑戦者はもうキクノを倒しているのだ。
ぱたん、と閉じられた扉のうちで不意打ちのキスをくらったゴヨウはぽかんとしたままオーバが出て行った扉のあたりを見つめた。
時間差で、いまになってふわっと頬が熱くなってくる。
ゴヨウは人差し指でそっと自分のくちびるに触れた。
「……そうですよね。いろいろぐだぐだ言ってる間に短いキスの何回も、していればよかった」
今の時間、惜しいことをしたな、とおもいつつ。
久しぶりのキスの余韻にしばらく浸ってから、ゴヨウは机の上の眼鏡をとってかけ、一人の部屋で再び読書をはじめた。
END
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