割れたコップ

ダイミク、変化に対して融通の利かないミクリの話。


「ミクリ、いないの?」
それは夜も更けた頃。ルネの街で。
先に訪れることを告げていたダイゴはなかなか出てこない家の主を待ちながら、戸を叩いていた。
いるはずのミクリはなぜか、出てこない。
とんとんと叩く手を止めて試しにひねったミクリの家の取っ手は、ガチャリ、わずかな金属音を立てて抵抗なくあいた。
ダイゴは、あれっ? と思う。
あいている。やっぱり中にいるのか。用心深いミクリはカギをかけずに外出するなんて事は考えにくい。だとしたらなぜ返事も何もないのだろう。
ダイゴは多少ためらったのち中に入り込み、パタンと戸を閉めた。

はいった玄関は暗い。続きの広間も。
奥のほうからかろうじて光が漏れているのに気付いた。……ミクリの部屋だ。ダイゴはその部屋に向かった。

「み、ミクリ……どうしたんだ」
部屋の戸を開けたダイゴは思わずつぶやいていた。
ソファーにぼんやり座るミクリ。その足元で、きら、きらっと光るのは割れて飛び散った薄いガラスの破片……。
ミクリは今までそれをただぼんやり見つめていたようで、ダイゴの声ではっとしてやっとダイゴを見つめた。
「あ、ダイゴ……?」
「ミクリ、どうしたんだ? この光景は」
飛び散ったガラス。それからガラスを片付けるでもなくぼんやりしているミクリ。
何となく尋常じゃないミクリの様子を感じ取ってダイゴはミクリのすぐそばまで向かった。
ミクリがその足元に気付き、慌てる。
「ダイゴ、危ない。こっち来ちゃだめだ」
自分はスリッパをはいているから大丈夫だ。そんなことよりミクリのことが気になってダイゴはすぐにソファーのところへ向かい、ミクリの肩を優しくつかんだ。
「どうしたんだ。大丈夫か?」
肩につかまれた手と、それからダイゴの目を見て、ミクリは瞬きした。
瞳がふっと曇る。
「ごめん。そういえば約束してたんだった……」
「それはいいんだけど。何があったの?」
「コップを……割ってしまって……」
どこかうろたえたような瞳をしてミクリは下を指差す。薄いガラスが飛び散ったあと……コップだったのか、とダイゴは思う。
「大切なコップだったの?」
「大切と言うか……いつもそれで飲んでいる、お酒がおいしく飲めるコップだったんだ」
「それなら、別ので代わりがきくだろう。ほかのコップで飲めば……」
「ああ、そうなんだけど、」
ミクリがゆるゆると首を振った。
「……そういうことじゃないんだ。……ごめん、うまく説明できない。こんな事に動揺してるって、ハタから見たら滑稽で、すごく弱いことなのかもしれない……はあ……ごめん。今は一緒にいてもダメだ。約束しといて悪いけど、今日は帰って。また明日にでも……」
「またそうやって、落ち込んだときに、ボクを遠ざけようとする……」
ダイゴは呆れてため息をついた。
「滑稽なんていわないから、何に動揺してるのか話してよ」
ダイゴはソファーの、ミクリのとなりに腰掛けた。
ミクリはそんなダイゴをちょっと見て、それから床に落ちたガラスの破片を見た。
ふうう、とため息をつく。
「私は弱いのかな……」
ポツリとつぶやいてミクリは話し始めた。
「私は変化のない日常では正しい判断を、冷静な行動を働かせることができるのだけど、……そこにわずかにでも変化が生じると、とたんにダメになってしまう。変化に弱いみたいだ。それは、こんなちょっとのことでも……」
ミクリは落ちているコップの破片の中から、かろうじて形をとどめているガラスのコップの取っ手であった部分を拾い上げて見つめる。
「普段使っているコップが壊れた。ただそれだけのことでこんなに、どうしたらいいか思考が止まってしまう。変化に対して融通が利かないんだ……。今夜と……それからあしたから、どのコップでお酒を飲めばいいのかって、うまく考えられなくて。お酒を飲むなんて生活の中でほんのちょっとの部分なのに、そのことがわずかに崩れただけで、私はだめになる。ダイゴとの約束も何もかも忘れるほどに、こんなふうにぼんやりしてしまっている。私、弱いな……いやになる」
それからミクリはダイゴのほうを向いてちょっと笑った。
「ダイゴにはこんな話、滑稽にしか聞こえないでしょう? そんなことで動けなくなることがあるなんて、強い君は思いもしないだろう……」
ダイゴの手が、薄いガラスをつかむミクリの手をとらえた。
ミクリは何故だか今手を触られたことにしてどきっとしてそこから視線が離せなくなる。
それから、ダイゴの手はミクリにそっと床にそのガラスを戻させた。
そしてつかんだ手はそのまま、じっとミクリを見つめる。
「そんなこと、ないよ」
「え?」
「ボクでも、そういう時はあるよ。……たまにだけど。だれでもそうだよ。君だけじゃない」
ひきよせた手の、指先にそっとキスをする。
「きみがぼんやりしていてよかったよ。下手に動揺したままガラスにさわってこの指に傷をつけてしまったりなんかしなくてよかった。とりあえず、落ち着きな。少なくとも今夜のコップはボクが何とかする」
ミクリを安心させるためなのか。ダイゴはちょっとイタズラっぽく笑った。
土産のつもりで買ってきた小さな酒のビンを出してダイゴはミクリの前でぐいっとあおる。
何をし始めるのかとかしげた形のいい顎をついっととらえられてミクリはわずかに上を向かされた。
唇が寄せられて……ミクリはそのままダイゴに口付けられた。
「……んっ…」
じわり、染込むように流れてくる熱いもの、濃い味、……それが口移しされている酒だと気付いてミクリははっとする。
驚いて離そうとしたが、いつの間にか回された腕に優しく抱きこまれていてかなわなかった。
こくん、移された酒を味わう暇もなく飲み込めば、喉が焼かれたように熱くなっていく。
こくん、こくん。
何回か酒を飲み込まされたあと、唇は離された。
ミクリが飲み込みきれず口からあふれて唇から下に滴ったひとすじの酒のしずくを指でぬぐって、ダイゴはミクリを覗き込む。
「今日の分の酒は、コップなくてもこれでやり過ごせたでしょう? どう?」
ミクリは目をぱちくりさせてダイゴを見つめる。その頬が、見る間に赤くなっていく。
「今日のはこれでなんとかなったから、明日はまた、明日からのお酒飲むのに必要なコップを探しに行けばいい。なんなら一緒に捜しに行こうか」
「……」
どこか放心したままミクリはうなずいた。
その頬がひどく熱い。心臓の鼓動が強く速くなっていく。
これくらいで酔ったというのか……
そうではないと知りながら、ミクリは強引に酒に酔ったことにした。
酔っ払ったミクリの代わりにダイゴが手早くガラスの破片をかたして……
何事もなかったかのようにいつもの夜に戻る。
ミクリは不思議に思う。そうだ、コップを買いにいって、新しいのを手に入れて……。
たったそれだけのことだったんだな。それで日常はまたナニゴトもなかったように始まるだろう。
そんなことも気付かないほどちょっとした変化に対して融通の利かなかった自分を嫌う前に、ミクリは自分を日常へと引き上げたダイゴによりいっそう恋をしてしまう。
「ん? もう一杯いく?」
みつめる視線に気付いてダイゴが酒のビンをちょっと持ち上げる。
「い、いや、もう酔ったからいいよ」
ゆるやかに首を振ってミクリが答える。
「じゃ、酒なしでどう?」
「いや、もう、ほんと、酔ったから……」
言ってミクリはそっと、ダイゴにしなだれかかった。
「ありがとう……」
ダイゴは動きを止めて、めずらしくも自分から身を寄せてくるミクリを見た。
視線を上げたミクリと目があって、なんとなく視線をはずせないまま見つめあう。
目を離さないまま、ダイゴは手を伸ばして酒のビンを引き寄せ、再び口に含んで……嫌がらないミクリにコップに二杯目の酒を飲ませた。

ミクリを多少動揺させる非日常が、もっとちょくちょくあってもいいのに……とダイゴは思ってそっとミクリを抱きしめた。

END


何が書きたかったのか途中で見失ってしまった(笑)
夜に毎日酒を飲む…って、わたしは当たり前のことと思ってたけど、
案外そういうものでもないのかな……?

割ってしまったコップに動揺したのも、少し日常が変化しただけでうろたえていたのも実は自分で。
ガラスの欠片片付けもせずぼんやリ眺めながら、そうだ、このネタで小説でも書こうとぼんやり考えた。

 

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