憂鬱のルビー

ダイゴが家でくつろいると、たいてい問題が駆け込んでくる。
ダイゴ+ルビーと、ついでにアダミク。


こんこん、と遠慮がちに鳴ったドアに、珍しく家でくつろいでいたダイゴは首をかしげた。
だれだろう、ぼくなんかの家を訪れてくるのは、と不思議に思いながら扉を開けたところ、そこには、美貌の顔を思いつめたような表情にしたルビーが立っていた。
ダイゴはおや、と思い扉を大きくあけた。
ルビーは扉を開けたダイゴの、普段と変わりない姿にほっとしたらしくて、にこ、と微笑む。でもその微笑みもいつもの人を魅了するものから程遠く、力ないな……と、ダイゴに印象付けた。
なにか、あったのだろう。
とりあえずダイゴはルビーを部屋へ招きいれた。


「えーと、インスタントコーヒーしかないんだけど飲む? ミルクも砂糖もないんだけど……」
普段ダイゴさえいることも少なく人をもてなすということが滅多にないこの家は、必要最小限のものしかない。飲み物と言えばダイゴが飲むためにあるインスタントコーヒーしかない。ダイゴはブラックでしか飲まないから当然ミルクも砂糖もない。
「それとも……ちょっとジュースでも買ってこようか」
ブラックコーヒーが子供に出すのにあまり適していないと言うことくらいは知っているダイゴが聞くとルビーは「いえ、コーヒーでいいです」と答えた。
そういったからには余計な気遣いは無用だと思って、ダイゴはルビーの分と、自分の分を入れなおして出し、ルビーが座っている向いに座る。
インスタントのコーヒーを口に含んでから、ルビーからは何も言わないのでダイゴが切り出した。
「で? どうかしたの?」
さりげなく聞いてみたルビーの視線は落ちていて、コーヒーを取る手もぎこちなく。何かに動揺しているらしかった。そのまま、しばらく沈黙が続いた後、ぽつりとルビーがつぶやく。
「あの、ボクちょっと動揺してしまって……。誰に話したらいいのかわからなくてダイゴさんしか思いつかなかったので」
こくん、とダイゴはコーヒーを飲んだ。
「ああ、それで?」
「師匠と大師匠が抱き合ってたんです」
単刀直入に切り出したルビーの言葉に、ぶは、とダイゴは思わず飲み込んでいなかったコーヒーを噴き出した。
「……え?」
「今日……さっき、師匠にちょっと聞きたいことがあって師匠の家へ言ったんです。で、家に入る前に窓からちらっと大師匠が来ているのが見えて、……それで」

…………


生ぬるい温度の、真昼のルネの街。白に統一された似たような建物の中からルビーは通いなれたミクリの家へと、迷いもなく進んでいた。
階段を登って、少し道を行く先にあるミクリの家。その、少し手前。そこでルビーは何となく足を止めた。
家の窓に人影が映る。すぐにわかった。それはアダンだ。
アダンが来ていると分かったそこで、なぜ足を止めたかはわからない。普段ならただアダンが来ているんだなとだけ思って迷わず家の戸を叩きに向かったはず。もしくは、師匠二人に遠慮してそこで引き返した。
でも、そのどちらでもない、ただその場で足を止めた。
今思えばその瞬間からルビーは何かの予感を感じ取っていたのかもしれなかった。

ふわり、ルビーの立ち止まったところから見える、ミクリの家の窓にかかった薄いレースのカーテンが揺れる。ここからはカーテンが邪魔しさえしなければ、中が筒抜けの、大きな窓。
夏に差し掛かるこの季節の、明るい日差しと生ぬるい風。なんとなく白昼夢のようなあやうくふわふわした雰囲気の午後だった。
こんな午後には、良くも悪くも何かが起こるような、予感。それを心の端に感じつつ……。
ルビーはそこで立ち尽くして、ぼんやりと窓の中を見つめていたのだった。
風に揺れるレースのカーテンによって時折霞がかったように室内の様子はぼやかされる。
窓に近いところにアダンがいて、奥にミクリがいた。何かしゃべっているが、ルビーのいるところからではよく聞こえない。
アダンの表情は見えないが、ミクリの表情は見えた。
……見えなければよかったのだが。
ルビーはそこで、見たこともないようなミクリの表情を見たのだった。
アダンが言ったらしい何かの言葉にミクリが微笑む。その笑顔は普段からは想像もつかないほど無防備で、甘い感じで。ゆらり、一瞬レースの薄いカーテンが視界をぼやかせたのち見せたミクリの表情は、それこそ見たこともない、ルビーが想像もできなかった――媚びるような表情。
――なに……?
ルビーはそのとき心の中で信じるものがぐらりと揺れるのを感じた。
ミクリがその媚びるような表情、色気をたたえた瞳でアダンを見つめながら、何か言う。
……そして、一歩近づいて、ためらいがちにその身を預ける。アダンの手がゆるやかにミクリを抱く。
――あ……だめだ。
ぼんやりしてしまっている思考のどこかで、遅すぎる危険信号が発せられて、ルビーの右足が一歩、引き下がる。けれど、目が離せない。ミクリが媚びた表情のまま顔を上げて、目をとじる、アダンが少し、頭を下げて
――キス。
くるり、窓の光景から背を向けたから口付けを交わすアダンとミクリは視界から消えた。ルビーは無意識に駆け出していて、頭はまっしろだった。でもそんな中で思い浮かんだ一人、――ダイゴ。

いまのは、いまのは、何かの間違い、白昼夢……
師匠が、誰かにあんな……あんな媚びた表情を向けるはずは。
ダイゴさんのところへ、行けば、そう、夢が覚める。何かの間違いだといってくれる……。

…………

 

「あんなの、……し、師匠じゃないですよね? 師匠は、女の人みたいに誰かに媚びたりなんか、大師匠にあんな表情向けたりなんか……そんなのしませんよね……? ふたりは、こ、恋人なんかじゃ……」
ルビーの動揺はあからさまだった。
そりゃそうだ、と、ダイゴは思う。同時にあの馬鹿が、とも。
ルビーにとってのミクリは自分の理想を詰め込んだ理想の大人だ。
大人の真実を知らない子供が夢見る、理想の大人。……それがルビーにとってのミクリであるはずだった。
美しくて、強くて、気高い。誰にも媚びない屈しない……誰にも汚されることのない存在、憧れの人。
だけど……。
現実を言えば、ミクリはアダンと恋仲にある。
アダンに屈しているし、ルビーの意識から言えば、アダンに汚されている。
これが真実なわけだが、どうしたものか。ダイゴは戸惑ったが、見てしまったならどうしようもないだろう、とすぐに結論して、そのままを告げる。
「それは……間違いじゃないよ。ミクリだってただの人間なんだから」
「いやです」
はねつけるようにルビーが返した。
「ああ、やだね。大人は醜いんだよ……」
がたり、と椅子が音を立てた。ルビーが立ち上がっていた。
「ダイゴさん、あなた、大人でしょう? うそでもいいから見間違いだったんじゃない、ってどうして言ってくれないんですか……『ミクリがそんなことするわけないよ』って、子供心を気遣って、どうして言ってくれないんですか……!」
ダイゴはううむ……と唸ってルビーから目をそらした。
「そういうの、苦手なんだよ……僕は。そういう子供をごまかしたりなだめたりは、ミクリの分野……あ、でもそのミクリが……あーあ」
ダイゴはやれやれ、とため息をついた。
どうしたものか。
大きな手のひらがふわり、浮かんでぽん、とルビーの頭にのせられる。
ほんとにこういうのは、苦手なのだ。自分だって、どちらかといえば子供のようなもの。
でも、だからこそルビーの心が痛いほど分かる気もする。
ダイゴは言葉を続ける。
「ミクリのその表情は、うそじゃないよ。あれも、ミクリ。醜いだろ……でも」
といってダイゴはルビーの瞳を覗き込んだ。
その瞳を、イタズラっぽく細めた。ここだけの話、秘密を共有しよう……? とでも言うような表情、声が少し、低くなる。
「ちょっと魅力的だと、思っただろう」
ルビーが、びく、と反応した。すぐに警戒心がむきだしになる。
「魅力的……? そんなの、おもうわけ……」
言ってそんなことないと確かめるように思い出したミクリの表情に、ルビーはどきっとした。
実は、さっきもどきっとしていた。でもショックで気付かなかった。いや、気付いていたけど心が回避した。認めなかった。
――いや違う、あれは良くない表情だ。醜い。あんな人に媚びたようなものが魅力的なわけ……
そう思えば思うほど、何故だか分からない、ルビーの心臓はどきどきいい始めた。
クセになる。思い出して、もう一度見てみたい、とちらっと思ってしまう。
あの女性がよくやるような、醜くも見える、媚びる表情は……嫌悪すると同時に惹かれ始める。
ルビーはぶんぶんと頭を振った。
「そんなの、いやだ……こんなのを魅力的だとちょっとでも思ってしまう心になんか、なりたくない……なんで、なんで、子供を、子供だましで誤魔化してくれないんですか、ダイゴさん……ダイゴさんの、バカ!」
言うと同時に立ち上がった、ルビーは駆け出してドアへ向かう。
あっという間にその「バカ」の言葉の余韻だけ残して出て行ってしまった。
「あっ……ルビー……、くん」
部屋にはダイゴだけが残された。
「やれやれ……」

しばらくルビーが出て行った戸のあたりをみていた。
やがてダイゴはソファに戻って、コーヒーを手に取る。
ルビーの子供の心にいくらか感化されでもしたのか、一口飲んだコーヒーは子供の頃感じたようにやたらと苦い。
ミルクか砂糖でも入れようと思って、そういやどっちもこの家にはなかったな、とあきらめた。

END


この後ミクリが血相変えて
「どうしよう師匠と抱き合ってるところルビーに見られちゃったかもしれない」
と泣きつきに来る。

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